このアルバムの登場は私には衝撃的でした。インド在住経験のある英国在住日本人としては、素直に驚きました。バングラ・ビートが英国で隆盛を極めようとしていた時期に、さらにそれを越えてインド人アーティストが世界を震撼させたのです。興奮しなくてどうしましょう。

 興奮しながら、当時、英国の日本人コミュニティーを対象に発行されていた日本語誌にアパッチ・インディアンのことを紹介する文章を書いたところ、アイランド・レコードからこのアルバムを頂きました。役得です。

 アパッチ・インディアンは英国生まれのインド人2世です。両親はバングラ・ビートの揺籃の地パンジャブ州からインドに移住してきています。その在英インド人コミュニティーで大きくなったのがバングラ・ビートのシーンでした。

 しかし、アパッチに直接影響を与えたのはレゲエでした。彼の14歳の誕生日にボブ・マーリーが生涯を閉じたという事実は運命でした。「ボブ・マーリーを聞いて、自分を彼の音楽の一部のように感じ、その音楽にもっと近寄ってゆきたいと思った」と語っています。

 その後、10代半ばにしてDJ活動を始めた彼は、レゲエのビートにインドの言葉を乗せるスタイルで人気を博していきます。この頃のレゲエはダンスホール・レゲエ、ラガマフィンなどと呼ばれるヒップホップ的なレゲエです。

 「在英アジア人でラガマフィンを聴かせる稀有な存在感」を発揮したアパッチの音楽にはバングラの要素も加わり、見事に個性的な姿となっています。道行を共にしたのは彼のいとこのデュガル兄弟でした。兄弟はDJスワミとしてメジャーでも活躍することになります。

 この作品は、1990年以来、三枚のシングルで大成功を収めたアパッチが、破格の契約金で契約したアイランド・レコードから発表した待望のデビュー・アルバムです。アルバムはUKトップ40に入るヒットとなりました。

 アパッチ・インディアンの音楽は、ジャマイカン・イングリッシュのパトワやインドのパンジャブ州の言語パンジャビを駆使して、ストリートの香りをぷんぷんさせています。バングラとラガマフィンのミックスとして、バングラマフィンとかバング・ラガという言葉を生み出しました。

 デビュー以来の3枚のシングル曲も収録していますし、シングル・カットされて英国トップ20に入るヒットとなった「アレンジド・マリッジ」など、キャッチーで楽しい曲が満載です。マキシ・プリーストやフランキー・ポールといったレゲエ界のスターとも共演しています。

 アパッチはジャマイカにも殴り込みをかけ、見事にレゲエの本場でも認められています。その結果でしょう、スライ・ダンバーがプロデュースした楽曲も収められています。さすがは在英インド人コミュニティーから世界に飛び出した男です。

 サウンドは、二作目以降に比べると若干地味目です。世界に飛び出したとは言え、まだコミュニティーに足をどっぷり着けたままです。それはそれなりに魅力的でもあります。ちょっとディープな世界です。

No Reservation / Apache Indian (1993 Island)