このアルバムの発売日にあたる1974年7月26日にロバート・ワイアットはアルフィーことアルフリーダ・ベンジと入籍しました。通常、この作品を語る際には、73年6月にロバートが事故で半身不随になってしまったことから始めますが、入籍の方がむしろ大きな出来事です。

 学業において両親の期待に答えられない、ソフト・マシーンから追い出された、といっては命を絶とうとした人が、半身不随となり、ドラムを叩くことが出来なくなってしまったにも係わらず、このように平穏な力強い作品を制作できたのはアルフィーのおかげです。

 アルバム・タイトルは彼女の提案ですし、ゴージャスなジャケット全盛のプログレ時代に極めてシンプルなジャケットを描いたのはもちろんアルフィーです。さらにヴァージンとのレコード契約をまとめたのも彼女です。

 ワイアットの詩作のインスピレーションとなっているのも彼女ですし、自ら歌ってもいます。そして何よりもロバートにヴァン・モリソンの傑作「アストラル・ウィークス」をレファレンスとするよう進言したのも彼女です。

 ソフツ的なジャズ・ロックではないロックとジャズの融合の仕方として、ヴァン・ザ・マンの傑作は一つの理想形でした。この作品に「アストラル・ウィークス」と通じるものがあるということが確かめられたことは嬉しいことです。

 この作品に収められた音楽は、元をただせば、1972年の冬にロバートがヴェニスに滞在していた時に一人でほおっておかれた時に遡ります。映画製作で忙しかったアルフィーはロバートに小さなキーボードを買ってあげています。これで曲作りが始まった模様です。

 ロバートはこれらの曲を元に自ら解散させたマッチング・モールを再結成してアルバムを制作することを企画します。そして、リハーサルの前日に事故が起きてしまいます。退院した彼にはさまざまな友人たちから手が差し伸べられます。

 その一人デルフィナに車いすでも不自由しない田舎のコテージを借りたロバートは本格的にこの作品の制作にかかります。バンドから解放されて、ロバートは曲ごとに楽器もミュージシャンも好きなように選ぶ自由を手にします。とことんバンドに向いていない人です。

 サウンドは美しいです。プロデュースに当たったニック・メイソンは、フロイドの方法論でしょう、ゆったりとした間に語らせる構造を持ち込みます。ヴァン・モリソン的なロックとジャズの融合をフロイド的な構造の中で展開するという見事なサウンドです。

 何と言っても「シー・ソング」の美しさが光ります。ボーカリストとしてのロバートの再出発にして高みに登りつめた感があります。後半部のスキャットとヴェニスでもらった安キーボードの音が絡み合って天上に登りつめていく様は、何度聴いても鳥肌が立ちます。

 アルフィーへの愛に満ちた作品です。悲劇の後なのに、何とも慈愛に満ちた作品になっているのはアルフィーのおかげです。ロバートの人生は一度リセットされて、未来に向けた視線が美しすぎる大傑作をものにしました。

Rock Bottom / Robert Wyatt (1974 Virgin)

(参照:"Different Every Time"Marcus O'dair)