カンタベリーは英国南部ケント州の町です。カンタベリー・シーンはここの周辺から起こった一連の音楽の総称です。ロバート・ワイアットの通っていた学校の友だちや彼の親のゲスト・ハウスに集った人々が後々大活躍することから、この呼び名が生じました。

 その中心に位置するのはこのソフト・マシーンです。その前身はワイルド・フラワーズというバンドで、ロバート・ワイアットやケヴィン・エアーズにホッパー兄弟やリチャード・シンクレアなど後に活躍する名前が並んでいました。

 そこからロバート、ケヴィンに加えてマイク・ラトリッジ、さらにオーストラリア国籍の元祖ヒッピーの4人がソフト・マシーンとなっていきます。しかし、アレンが英国に入国を拒否されたことから、結局三人組になりました。アレンは後にゴングを結成して大活躍します。

 ロバートとマイクはサイモン・ラングトン・グラマー・スクールの同窓生です。学生時代、マイクがロバートにセシル・テイラーのレコードを借りに来たのが最初の出会いです。マイクは校長の息子で、オックスフォードで哲学を修めることになります。

 ソフト・マシーンの名はウィリアム・バロウズのビート小説から取っていて、律儀なことに彼らはきちんとバロウズに許可ももらっています。カンタベリーからロンドンに出ていった彼らは、当時、蠢いていたアンダーグラウンド・シーンで注目を集めます。

 有名なクラブUFOでは、ピンク・フロイドと並ぶ人気を博しています。フロイドのニック・メイソンなどは、彼らの方がよりミュージシャンらしいなどと言っていますから、少なくとも両者は並び立つ両エースだったようです。

 歳かさで精神的な支柱だったアレンが脱退を余儀なくされますが、バンドは継続し、プロとしての契約も獲得していきます。マネジメントが同じだったことからジミ・ヘンドリックスと共に、1968年にアメリカ・ツアーに出ます。ジミはソフツのファンだったそうです。

 そのツアー中に、ジミのアルバム制作が難航していたことから、そのスタジオの空きを縫って制作のチャンスを得た結果がこのアルバムです。ピンク・フロイドとジミ・ヘンドリックスに囲まれた存在としてのソフト・マシーン。驚異のバンドだと分かってもらえると思います。

 ビジュアル面でもセンシュアル・ラボラトリーというサイケ集団と共演していた彼らは、延々と即興でサイケデリックかつプログレッシブな演奏を繰り広げました。その刺激に満ちたステージはジミともフロイドともためを張るものでした。

 レコーディングはわずか4日、ほとんどスタジオ・ライブで行われています。13曲は3つのまとまりに分けられており、いずれもソフツの3人のやりたい放題です。この時代には珍しくギターがほとんど聞こえず、ベース、ドラム、オルガンがそれぞれリード楽器となっています。

 必ずしもライブの絶頂を捉えているわけではないとメンバーが言っていますが、英国プログレの一つの極北がここにあります。知性に満ちた実験の数々は今でも十分に刺激的で、現代音楽的な硬質感とポップが共存する唯一無比の音楽だと思います。

注:すいません。デヴィッド・アレン・トリオの構成を誤解していました。正しくはアレン、ロバートにヒュー・ホッパーです。ということで2パラと3パラを書き直しました。お詫びして訂正します。

The Soft Machine / The Soft Machine (1968 Probe)