「一所懸命作りました。」というのが、このアルバムのセールス・コピーです。石井基博という糸井重里の弟子に当たるコピーライターの作品です。このコピーはよく出来ています。この作品は遊びで作ったと思う人が多いのではないかと思われるからです。

 同じく帯に印刷してある本人の文章は明らかにふざけています。お世話になった方々に「薄々と感謝の念を吟じえません」ですから。細野晴臣のキャラクターに慣れていない人の中には怒り出す人もいるかもしれません。

 この作品は、細野さんが高橋幸宏と立ち上げたYENレーベルの第一弾として発表されました。同時に出たのは立花ハジメの「H」です。細野さんはYMOの成功がお金にしか還元できないんじゃ寂しいから、何か証をということでレーベルを作ってもらったそうです。

 主に新人を紹介するためのレーベルですけれども、最初の立ち上げ人が自分だったからということで、ソロを作ろうと計画したとご本人が語っています。この辺りは、本人弁というのも結構曖昧ですから、本当のところは分かりませんけれども。

 細野さんは「YMO中はソロを作らない」と広言していましたが、この頃はYMOが存在していたにも係わらず、自分の中では終わっていた、ということで本作の発表に至ります。実に5年ぶりのソロ・アルバムということで、発表当時は随分話題になりました。

 私も発表時に入手して聴いていました。私ははっぴいえんどの時代を知りませんし、さほど細野晴臣ワールドに触れていたわけではないので、この飄々としたユーモラスな音には驚きました。何と言っても「フニクリ、フニクラ」ですから。

 この作品は細野晴臣がほとんど一人で作り上げたアルバムです。シーケンサーに自分で打ち込んでいますし、黎明期のサンプラーであるイミュレーターを駆使しています。ここらあたりが遊びっぽい印象を与える所以です。もう嬉しくてしょうがない様子が見て取れます。

 紙ジャケ再発にあたって、封入ブックレットに細野さんのインタビューが掲載されています。制作プロセスの秘密を解き明かそうとインタビュアーも頑張っていますが、細野さんの答えが軽めで面白いです。

 ぽつぽつ拾うと、「ポップ・ミュージックのことを考えていた」作品ですが、「僕が好きなのは、その間にちょっと入ってるミニマルな部分なんですね」となっていたりします。いちばん悲しませたのは身近なファンだという点には、「その印象はいつもありますね」と答えます。

 このアルバムは「即興的に作っているっていう。絵を描くように作り始めたのは、このときが最初」だそうです。まだ黎明期のサンプラーですし、ちょうどこの頃にしかない音をカンバスに塗りたくるようなサウンドです。

 一方で、ボーカル曲もありますし、暴力的なインストもあり、そこらあたりも絵画的といえます。さすがに才人は違うわいと思わせるぶっきらぼうな意外に男っぽいアルバムです。この人は本当に変な人だなあとしみじみ思います。

Philharmony / Haruomi Hosono (1982 YEN)