サン・ラーは望遠鏡でホールの天井を覗くと、自分の故郷である「土星が見える」と聴衆に語りかけました。それまでの宇宙に関する説教をどう受け止めてよいか分からなかった人々は、この発言でついにブーイングするに至ります。

 これに対して「『劣等人種』が騒音を出している」と発言して聴衆を凍り付かせたサン・ラーは「瞳に炎を宿して」バンドを振り向き、怒涛の演奏を繰り広げると、聴衆はついに制圧されるに至ったということです。

 ベルリンの世界文化の村で行われたサン・ラーのコンサートでの一コマです。この作品は、そのコンサートを含むサン・ラーのドイツ初お目見えの記録です。少し前、1970年8月に初めてヨーロッパでコンサートを行ったサン・ラーは大そうヨーロッパの聴衆に衝撃を与えました。

 一旦帰国したサン・ラーを再び呼び戻そうと各国のプロモーターが画策します。ドイツはこのアルバムのプロデューサーに名を残しているヨアキム・ベーレントが中心となりました。サン・ラーは20人の大所帯で渡欧、さらにパリでダンサー二人を加えて総勢22人でツアーします。

 ドイツでの初お目見えは1970年10月17日、ドナウエッシンゲン・ミュージック・フェスティヴァルでした。ここはドイツの実験音楽の中心地であり、シュトックハウゼンが世界に衝撃を与えた舞台となった会場です。

 ここでの聴衆は大そう理解を示し、大いに受けたようですが、ジャズ評論家の受けはさっぱりでした。その後、バルセロナ、アムステルダム、パリを経て、11月7日にベルリン・ジャズ・フェスティヴァルに登場します。

 ベルリンではヨーロッパ随一のフリー・ジャズ・ユニットであるグローブ・ユニティー・オーケストラと競演することになりましたが、聴衆はサン・ラーのことをどう受け止めてよいのか分からなかったようです。そこで先の事件となるわけです。

 22人のメンバーからなるぐしゃぐしゃな音の塊を提示された上に、宇宙に関する訳のわからない説法を聞かされた聴衆の気持ちも分かります。おまけに「火喰い男」まで登場する始末です。予備知識がないと受け止めきることは難しいのかもしれません。

 このアルバムはドナウエッシンゲンからA面25分、ベルリンからB面23分の演奏を収めたものです。実際にはそれぞれ3時間、2時間の演奏でしたから、かなり端折っています。ほんの触りだけと言ってよいかと思います。

 しかし、それでもびゅんびゅん唸るサン・ラーの宇宙シンセや、アーケストラ全員が吠える分厚いホーンのド迫力は満点ですし、選曲もよく考えられています。「神話対現実」では最後の方に「火喰い男」が登場するのですが、さすがにレコードでは分からないのが残念です。

 世界ツアーということでいつも以上に気合の入ったサン・ラーのエネルギーに溢れる一枚です。「古代から脈々と続く黒人の存在を、今日、最も正確に表現する」サン・ラーの音楽は、ジャズの枠を超えて、宇宙とシンクロしています。ヨアキムの賛辞も熱い熱い。

(参照:「Space Is The Place」John F. Szwed)

It's After the End of the World / Sun Ra & his Intergalactic Research Arkestra (1970 MPS)