2014年の夏は日本はデング熱で大騒ぎでした。致死率はさほど高くないものの、激烈な症状がでる熱帯の病ということで、極端に心配された人も多かったわけです。そんな病気の名前をバンド名にしたのはアメリカの若者たちでした。

 デング熱と聞いてカンボジアを思う人はさほどいないと思いますが、このバンドはカンボジア歌謡の存在を世界に知らしめた最大の功労者だと大石始さんのライナーには書いてあります。カンボジア歌謡の存在は私もこのバンドを聴くまで知りませんでした。

 第二次大戦後、カンボジアの首都プノンペンは東洋のパリとも呼ばれたほどの発展を遂げ、大衆音楽も栄えていきます。ロックの影響も受けて、カンボジア歌謡、カンボジア・ロックの黄金時代が訪れますが、ポルポト政権でほぼ抹殺されてしまいました。

 そのカンボジア歌謡なりロックを復活させようとする動きが国内外に起こっていて、デング・フィーヴァーもその一翼を担っています。中心人物のイーサン・ホルツマンはカンボジアをバックパッカーとして旅行した際にカンボジア歌謡の魅力にはまっています。

 ロスに戻って弟のザックとともに、アジアのレア・グルーヴに影響を受けたバンドを結成し、画竜点睛として、カンボジアの歌手チョム・ニモルを仲間にすることに成功、一気にデング・フィーヴァーが羽ばたきます。

 ニモルはカンボジアのバッタンバン出身の女性で、両親も伝統音楽の歌手という音楽一家に育っています。カンボジアのコンテストに優勝した彼女は歌手として活動を開始し、やがてカリフォルニア、ロングビーチのカンボジア・タウンにやってきました。

 デング・フィーヴァーの結成は2001年で、2003年以降、何枚ものレコードを発表しています。この作品は10年に及ぶ彼らの作品の中から、メンバーが好きだという曲を集めた編集盤で、韓国のレーベルから発表されています。韓国、やりますね。

 「カンボジア歌謡特有のスットコドッコイな得体の知れぬグルーヴ感とコブシを維持しつつも、サイケやガレージ、レアグルーヴ的なテイストをそこかしこにまぶしながら西海岸インディのド真ん中で切っ先鋭い独自のマージナル・サウンドを鳴らすデング・フィーヴァー。」

 輸入業者さんのインフォをそのまま引っ張ってきました。これが辺境グルーヴ的な捉え方の代表例かと思います。ちょっと際物的な捉え方です。とても不思議なグルーヴ感であることは間違いありませんが、私はエキゾチックというよりはクールだと思いました。

 日本の歌謡曲の黄金時代を思わせるところもあれば、GSを髣髴させるところもあります。一方で、大陸的な大らかさもあり、細いのか太いのかよく分からない音がガレージ的です。メロディー・ラインも絶妙で、見事に現代の音です。

 ポルポト時代に裸で歌わされた女性歌手を歌った「タランチュアの千の涙」、掛け合いが楽しい「ソーバー・ドライバー」あたりがお薦めです。思い出しそうで思い出せない、頭の奥底に眠る記憶を呼び起こそうとする絶妙な音楽です。

Swallow The Sun / Dengue Fever (2014 Tuk Tuk)