ケヴィン・エアーズさんのこの作品は、12年ぶりに日本でも発売されることになりました。本邦発売のなかった1980年の「ザッツ・ホワット・ユー・ゲット」以降は、スペインでの活動がほとんどでしたが、久しぶりに旧友マイク・オールドフィールドさんのアルバムに参加したことをきっかけにヴァージン・レコードと契約しました。

 時代は一巡りして、ケヴィンのような生き方は再び大人の憧れの的となりました。ロハスだとか、スロー・ライフなんていう言葉も出てきますね。スペインはイビザ島の太陽の下でお酒を飲みながらのんびり暮らしているイメージですね。

 何ものにも束縛されずに、自由気ままに世の中の屈託から無縁な姿をケヴィンに見てしまいます。この作品は、そんな生活の中から、気の向くままに制作された、ように私の目には映りました。

 そんな気持ちは世の中に蔓延していたのでしょう、この作品は1988年度のミュージック・マガジン誌の年間ベスト・アルバム英国ロック部門で堂々一位に輝いたことを覚えています。売れてもいなければ、尖ってもいない。だからこそ一位なのかもしれません。

 この作品は、スペインに暮らすケヴィンが、盟友オリー・ハルソールさんやスペインのミュージシャンたちと作り上げたアルバムです。軽めのドラムの音と歯切れのいいリズム・ギターに載せて魅惑の低音がはじけます。

 赤岩和美さんがライナーで書かれている通り、「地中海の微熱を感じさせるリズミカルな演奏に乗せて、あのケヴィンの魅惑の低音が帰ってきた」んです。ワインとイビザの太陽を想起させるとても魅力的な作品です。

 「円熟」という言葉が染み出してきます。自由人ではありますが、いろいろと音楽業界に翻弄されてきたケヴィンが、ついに達した境地のように思います。魅惑の低音のレイド・バック状態は、アメリカ南部の豪快さん型レイド・バックとは違って、あくまで繊細さを失わない、海の似合うまろやかな円熟です。

 ただし、歌詞からは、この人の屈託も見えてきます。すぐにスペインに引っ越したりする人なので、昔から現実逃避と言われていたのでしょう。ここでは「アム・アイ・リアリー・マーセル?」の中で正面からそう歌っています。

 ♪人は現実から逃げているというけれど、皆、どこかへ走っているだろう♪。訳しにくいですけれども、要するに、逃避と言うけれども、前から見るか後ろから見るかの違いだろうということではないでしょうか。

 音楽を聴くという行為自体も現実逃避だと言われることもありますから、ケヴィンだけの問題ではなく、リスナーたる私にも折り合いをつけなければならない問題です。こうしてケヴィンがそうじゃないんだとゆったりと歌ってくれるとほっとします。

 ケヴィン復活を告げる素晴らしいアルバムです。

Falling Up / Kevin Ayers (1988 Virgin)