オリジナルに忠実なのはありがたいのですが、このジャケットはスキャナー泣かせです。何の絵か分からないでしょうが、これは地形模型だと思います。そして、線を引っ張って地名が書いてあるのかと思いきや、メンバーの名前と曲名が書いてあります。

 そんな不思議なジャケットに包まれたカンの6枚目にはダモ鈴木さんはもういません。ついにボーカリストをリクルートすることは諦め、ギターのミヒャエルとキーボードのイルミンがボーカルも担当することになりました。後期カンの幕開けです。

 ダモさんはドイツ人女性と結婚しますが、彼女の信仰を受け入れ、エホバの証人となりました。それが音楽活動とどう関係があるのかよく分かりませんが、とにかく彼は音楽活動を辞めてしまいました。再開するのはずっと後のことです。

 カンは4人になってしまいましたが、カンは「蟻塚のようなひとつの有機体だった」ので、一人欠けても欠けたなりに「カンという生き物が音楽を作った」わけです。その意味では、前作と並べても一見それほど大きく異なる表情を見せているわけではありません。

 しかし、マルコム、ダモと常軌を逸するボーカリストを擁していた時に比べれば、とても常識的になりました。音楽的にはさまざまな冒険がより自由に繰り広げられているのだろうと思いますが、狂気のエッセンスが垂らされることはなく、安心して聴いていられます。

 この頃、カンは似非民族音楽を実践していまして、このアルバムの曲も、冒頭の「ディジー・ディジー」がレゲエ、「コメスタ・ラ・ルナ」がタンゴなどと、その流れで作られたのではないかと思われます。

 カンのメンバーは極めて自覚的で、「似非」に過ぎないことを標榜していましたから、実験の度合いもより自由度が増していました。民族音楽の伝統などに頓着することなく、自由自在に気に入った部分を取り出すことができます。さすがです。

 この作品の中心は、B面に収録された「チェイン・リアクション」から「量子力学」の2曲であろうと思います。世評もそうなっています。デイヴィッド・フリッケさんのライナーでは、前者が「11分にわたる駆け足のファンカデリカ」、後者が「インストゥルメンタルの自由落下を導く急降下」と表現しています。

 そして、前者がディスコへの扉を指し示し、後者がアンビエント・ミュージックに到達していたと高い評価を与えています。複雑なので、いろいろな物事を読み込むことが可能な音の組み立てとなっているのは確かです。

 このあたりは、編集を担当していると思われるホルガー・シューカイさんの腕の見せ所でしょう。まだ2トラックの録音でしかないことが嘘のような自由自在な編集ぶりです。聴いていると大そう面白い作品です。

 しかし、繰り返しますが、とても常識的なサウンドになりました。理解の及ばない裂け目のようなものは鳴りを潜め、実験ぶりも端正です。そこら辺りが評価の分かれ目でしょう。

Soon Over Babaluma / Can (1974 United Artists)