前にも書いたことがあるのですけれども、年齢を重ねると聴覚が衰えてくるので、高周波の音が聞えにくくなるといいます。池田亮司さんのこの作品には高周波音が多用されていますから、ひょっとすると私の聴いている音と若い人の聴いている音は違うのかもしれません。

 池田さんも私とさほど歳が変わらないということは、本人にも聴こえていない音が入っている可能性も否定できませんね。この作品は体験するための作品ですから、こういう点も重要かもしれません。

 どうしてそう思ったかというと、この作品を聴いている時に隣にいた愛犬の様子が変だったからです。いつもは大きな音に迷惑そうにしているか寝ているかのどちらかなんですが、この作品は全部ではないにせよ、ところどころ明らかに耳を向けて聴いていたんです。

 犬の聴覚は人間よりも優れていますから、犬にしか聞こえない波長の音までもが含まれているのではないかと思った次第です。幸い、愛犬にとって拷問だったわけではなさそうです。じっと聴いていましたから。楽しかったのかもしれません。

 池田亮司さんは、パリを拠点に活躍する「世界の電子音楽/メディア・アートのトップアーティスト」です。この作品は、「『音のデータ』と『データの音』の両間にある可能性を探求する<Dataシリーズ>三部作完結編」です。前二作を聴いていないので肩身が狭いですが、ベスト盤的色彩が強いということでよしとしましょう。

 サウンドは正弦波やホワイト・ノイズなど基本となる音を使った「ピュア・エレクットロニック・ミュージック」です。ビート感覚も複雑ですし、ダンスのための音楽では決してありませんが、オウテカなどにも通じるところもあります。結構楽しい。

 ご本人はほとんど作品について語ることはありません。しかし、こういう音楽には語る人が周りに数多く参集してきます。多くの方が言及するのは量子力学の世界です。音楽を素粒子にまで解体して再構築しているという論調ですね。

 しかし、世界の構成単位を素粒子とする考え方よりも、それも含めて世界とはすなわち情報なのだという見方の方が面白いです。ここでは『data』という言葉で表現されています。これを編集したものがすなわち音楽であり、世界であるという、当たり前と言えば当たり前ながら刺激的な考え方です。

 最先端の物理学では、多元宇宙論も盛んで、中にはこの宇宙はどこかのコンピューターによるシミュレーションであるというSF的な議論もあります。編集された情報がすなわち宇宙だと考えるのは全くおかしくありません。

 ここでは徹底的に電子音による編集がなされています。できるだけ簡素で美しい構造を見出そうとする取り組みだと思いますが、音の情報量は一般の音楽と変わらないのかもしれないななどと思いながら聴いておりました。

 1時間ちょっとの音のドラマです。これは体験です。意識が広がっていくようでもありますし、醒めていくようでもあります。ともかくいろいろと頭が回転し続けて、あっという間の1時間が過ぎていきます。なんという体験でしょう。

Supercodex / Ikeda Ryoji (2013 Budde)