エンヤの登場はとても新鮮でした。名前も名前ですし、何が何やら分からぬままに日本でも大ヒットしました。オリコン・チャートでは最高位が7位ですが、ライナーノーツの情報では5週連続1位獲得となっています。要するに洋楽にしては売れたわけです。

 この作品はエンヤのメジャー・デビュー作品で、シングル・カットされた「オリノコ・フロウ」は世界中で大ヒットして、アルバムも息の長いヒットとなり、結果的には1000万枚を超える売り上げとなっています。

 服部のり子さんが書かれているライナーノーツを読んで、二つばかり大きく膝を打ったところがありました。一つは、「初めて聴いた時に、『こういう音楽を聴きたかったんだ』と思ったのではないだろうか」というところです。

 当時、こういう音楽はありませんでしたけれども、初めて聴いた気がしない。人類としての集合的無意識の中に潜んでいる生まれる前の記憶に組み込まれているのではないでしょうか。単に懐かしいということではありません。深い深いところでシンクロするイメージです。

 もう一つは、「エンヤの登場によって、90年代以降は、『大人が聴く良質の音楽』が一気にクローズ・アップされていくことになる」というところ。今でこそ、作り手も普通に大人に向けて音楽を作っていますが、当時はまだそんなことはありませんでした。

 ビートルズ世代も40歳前後となり、新たな音楽への渇望が増していたにもかかわらず、それを満たしてくれる音がない。そんなところに、エンヤの音楽が火を付けたというわけです。ロックでもジャズでもクラシックでもない音楽。ワールド・ミュージックの流れでもありました。

 エンヤさんはアイルランドの中でも古来ケルト族の言語であるゲール語が日常語として使われているという伝統文化の色濃い町で生まれ育ちました。神秘的な自然環境に囲まれて育った彼女は、学生時代から音楽を始めます。

 そして、プロデュースを手掛けるニッキーと作詞を担当するローマのライアン夫妻に出会い、この三人のチームで伝統音楽に根差しつつ、テクノロジーを駆使した独特のスタイルを築きました。その成果がこの作品です。

 何と言っても多重録音です。多い時には200回も録音を重ねているそうです。分厚いコーラス・ワークもすべてエンヤの歌声だといいます。昔はオーバー・ダブを重ねると音が汚くなってしまったものですが、そこは最新のテクノロジーで見事な重ね方です。

 ケルトの伝統に根差しているところがやはり強い。分厚い歴史を彩った人々の思いがすべて、エンヤの音楽を通して現れているかのような香気が漂っています。民族音楽の強みを持ち合わせた見事なサウンドだと思います。

 一曲一曲に大いに時間をかけて練り上げられた結果、ため息がでるほど美しいサウンドが現前することとなりました。「癒し」などという言葉では片づけられない、ヒリヒリするほど力強いサウンドです。

 曇天に天使が舞い降りてくる素晴らしい作品です。

Watermark / Enya (1988 WEA)