$あれも聴きたいこれも聴きたい クラシック然としたクラシックを聴く場合には、私のような初心者はまだまだ鑑賞のきっかけとなるガイドが必要です。ブラームスの場合は、岡田暁生さんの「西洋音楽史」にある一節です。

 19世紀ドイツの器楽文化が大きく三つの方向に分かれるというお話で、それは詩的なピアノ小品集、標題音楽、そして絶対音楽です。そのうち絶対音楽とは「音楽は音だけで出来た絶対的な小宇宙であるべきであり、文学的なものはそこから徹底的に排除されなければならない」とする方向です。

 その絶対音楽の代表的な作曲家がブラームスだというものです。絶対音楽は、私にはとてもしっくりくる姿勢です。このブログでも繰り返し、そういう嗜好を表明してきましたが、クラシックでもそういうことをことさらに言い募ることがあるのだなと思った次第です。

 その観点からこのCDを聴いてみますと、確かに何か哲学なり理念なりを表明するように曲を書いているというよりも、音に没頭して組み立てているような気がします。純粋に音をそれ自体として積み上げていった結果がこの作品であるように思えるんです。

 この作品は、ブラームスの初期、彼がまだ20代の頃の作品です。ピアノ協奏曲となっているにも関わらず、なかなかピアノが出てこない作品で、もとは交響曲を企図していたということがよく分かります。あまり協奏曲の常識にこだわっていないところが面白いです。

 最初に聴いた感想は、何でもあり、というものでした。その時に考えつく限りのことをぶち込んでみましたといった風情が面白いです。取捨選択というよりも、積み上げ型。煉瓦職人ベートーベンの後継者と言われるだけのことはあります。

 演奏は、ピアノにブラジル生まれのネルソン・フレイレ、ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮するのはリッカルド・シャイーで、デッカの録音の粋を尽くした作品として名高いです。ジャケット左の自然大好きおじさんのような風貌がフレイレさん、いかにも音楽家な右の人がシャイーです。

 何でもありなので、演奏は大変ではないでしょうか。第三楽章なんて途中で別の曲が始まったかと思うくらいの展開ぶりですし、振れ幅が結構大きいです。しかし、エンターテインメント的ではないからか、初演の時には退屈だとして不評であったらしいですね。

 しかし、そんなところも、フレイレさんのきっちりとしながらも情熱的な演奏によって、見事に補われています。初演はブラームス本人が弾いたそうですからね。最初から別の人にしておけばよかったのに。ポップス界でもよくある話です。
 
 ともかく、フレイレさんのピアノは素晴らしいです。この作品の風情にぴったりです。

Brahms : Piano Concerto No.1 / Nelson Freire, Riccardo Chailly Gewandhausorchester (2006 Decca)