$あれも聴きたいこれも聴きたい 最近、岩宮眞一郎さんの「音楽の科学」という本を読んでいます。それによれば、われわれが音の塊をメロディーとして理解するには、「調性にそった体制化を行う処理の枠組み」、すなわち調性スキーマが必要だということです。そして、この調性スキーマは音楽文化に慣れ親しむことで獲得されるもので、文化ごとに違っています。

 なるほどこの考え方は納得がいきます。ある時点で急にジャンルごと音楽が理解できるようになることがありますからね。そのジャンルの調性スキーマを習得したということになるのでしょう。それで、私には邦楽の調性スキーマやロックの調性スキーマの他にインド音楽の調性スキーマが備わっているのではないかと思っています。

 このザーズの作品を聴いて、そんな考えに思いを馳せました。最初に聴いた時には、歌は凄くうまいけれども、これは外れかなあと思ったんですが、何度か聴いておりますと、ある時、突然、凄く胸に迫ってくるものに出会いました。それから彼女の楽曲が頭から離れません。

 ザーズは80年にフランスに生まれました。幼少の頃から音楽に慣れ親しんだ彼女は、パリのキャバレーで歌ったり、モンマルトルの路上でストリート・ライブを行うなどして、次第に評判を呼びました。そして2010年にメジャー・デビューすると、瞬く間にフランスのみならずヨーロッパを席巻します。

 「エディット・ピアフの再来」と、最大級の賛辞をほしいままにする彼女は、今やフランスを代表する歌手として大活躍しています。彼女の音楽のスタイルはシャンソンなんですけれども、同時にマヌーシュ・スウィングの影響を強く受けています。その融合ということでしょう。

 マヌーシュ・スウィングとはジャンゴ・ラインハルトが始めたジプシー・スウィングのこと。ジプシー音楽とジャズが融合したものと言えばいいのでしょうか。このあたり、あまり自信がないのですけれども、ともかく彼女のシャンソンは独特の感覚なんです。

 特にこのマヌーシュ・スウィングの調性スキーマは独特のものなのではないかと思いました。シャンソンというよりもこちら。これを体で理解するのに少々時間がかかりましたが、はまってしまえば、何とも魅力的な音楽です。

 中東、東欧、コーカサス、はたまたバスク地方と広がる地域の香りがします。汎ヨーロッパ的ではありますが、西洋クラシックとは違う世界。ヨーロッパの民俗音楽。なかなか馴染みのない地方の音楽を感じます。

 リズムも独特なノリがあって、それは太鼓やベースによって刻まれるリズムというよりも、彼女の歌声に刻まれたリズム感。これが素晴らしいです。彼女の歌声はとてもハスキーで力強い。こんな素晴らしい声で聴いたことがないような音楽を歌う。世界はまだまだ広いなあと感慨に耽りました。

 これは素晴らしいアルバムです。

Recto Verso / Zaz (2013 Play On)