$あれも聴きたいこれも聴きたい 「東京ワッショイ」79年、近田春夫の「電撃的東京」78年、YMOの「テクノポリス」79年、沢田研二の「TOKIO」80年。この当時、突如、東京がブームになりました。東京が江戸ではなくなり、ビジネスの街でもなく、おしゃれな街になりました。

 おそらくアングラ、サブカルがお洒落に変身した時期と軌を一にしているのでしょうね。田舎から東京に出てきていた私にもその変化はひしひしと伝わってまいりました。疎外されているような気がして、嫌だなあと思っていたわけですが。

 遠藤賢司は「元祖純音楽家」として、「60年代後半のフォークシーンにおいて頭角を現すようにな」りました。フォークの中にあってはロック的なアプローチで知られていたそうで、「ギター一本で総ての音を表現する」を信条にギターと対峙した人です。

 「吉田拓郎と共に“フォーク界のプリンス”と言われ」たそうです。60年代のことはリアルタイムには全く知りませんでしたので、後に知って驚きました。80年代にはそんな佇まいはありませんでした。

 この作品は、彼の7枚目のアルバムです。名盤として知られていて、たとえば、ミュージック・マガジン社の40周年記念アルバムベスト200では堂々140位にランクインしています。下位のようですが、日本人に限れば11位です。なんとまあ。

 公式サイトによれば、この作品は「クラフトワークやセックス・ピストルズに触発された遠賢からの回答」です。「このアルバムは、フォーク、ロック、パンク、テクノ、ニューミュージックなど、あらゆる音楽を呑み込んで、それを遠賢色に染め上げた、まさに“遠藤賢司の音楽”のひとつの完成型とな」りました。

 偉そうに書いていますが、発表当時はほとんど聴いていません。当時はまだ若かったですから、古い世代の人が流行に乗って何かやっていると冷ややかに見ていました。まったく興味がわかなかったので、話題になっていたのは知りつつもスルーしておりました。

 ただ、横尾忠則さんのジャケットは気になっていました。富士山や新幹線、桜にパンダ、浅草の提灯。それをグラフィック系の色彩で染めたジャケットは不細工でカッコ良いと思いました。新幹線が0系なんですね。ここが一番時代を感じさせることになろうとは。

 紙ジャケ再発で初めてまともに聴きました。エンケン的なブルースっぽいフォークを四人囃子の佐久間正英さんが「テクノ・ポップ」にまとめるという面白い作品でした。ベースはフェイセスで海を渡って活躍していた山内テツさんです。

 A面は東京サイド、B面は宇宙サイドと分かれていて、それなりに歌詞に統一感があるようです。私はA面の方が好きです。特に「哀愁の東京タワー」のまんまクラフトワークな感じがいいです。全体に歌詞はあまり好きではありませんが、まあこれはこれでありですかね。

東京ワッショイ / 遠藤賢司 (1979 ベルウッド)