$あれも聴きたいこれも聴きたい ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルト、ハイドンが並んでいます。まるで中学校の音楽室に飾ってある肖像画を眺めているような気分です。顔もくっきりと脳裏に浮かんでまいりました。やはり教育というのは大事なことですね。

 ところで、彼らはみんなドイツ・オーストリアの作曲家です。それなのにイタリア語の歌曲を作っています。昔のヨーロッパには国境の意味合いが今とはずいぶん異なっていることが分かります。EUというのは昔に帰るということなんでしょう。

 この作品は、人気のあるオペラの歌姫チェチーリア・バルトリがイタリア語による古典歌曲を歌った作品です。録音は1992年8月ですから、バルトリさんが26歳の時です。オペラの場合は声が完成するのは30代だと言われているそうですから、かなり若いということになります。彼女が大スターになるのはもう少し後のことのようです。

 伴奏はアンドラーシュ・シフのピアノ一本です。当時、彼は40歳少し前、気鋭のピアニストだったのではないかと推察いたします。歌唱を引き立てる見事な仕事をされたと思います。女性歌手の伴奏って楽しそうです。

 ベートーヴェンが6曲、モーツァルトが1曲、シューベルトが10曲、長くて5分の小曲ばかりです。曲目は、「旅立ち」や「ごらん、何と明るい月か」とか、歌謡曲っぽいものが多いです。中には、「あなたはご存じのはず、まだどれほど私が...」なんていうオペラっぽいものもあります。

 最後の曲はハイドンの「ナクソス島のアリアンナ」で20分ほどある超大作です。恋人テセウスによってナクソス島に置き去りにされた女神アリアドネの嘆きを描写しているようです。言葉が分からないのでなんですが、起承転結があるようでして、最後の方の盛り上がりは凄いものがあります。絶唱です。

 バルトリさんはメゾソプラノですから、ソプラノほど人間離れしていません。曲がポップスのフォーマットですし、声も声ですから、クラシックの歌唱に疎い私でも全く違和感なく楽しむことができます。ころころ転がる歌唱法も含めて、極上のポップスを聴いている感覚になりました。

 同じ年生まれの女性歌手と言えば、日本では小泉今日子や早見優、米国ではジャネット・ジャクソンがいます。ジャンルは違うとはいえ、まったく世界が違うとも思えません。月並みな言い方ですが、バルトリさんはポップス界でキャリアを積んでもトップ・スターになっていたのではないかと思われます。
 
 ピアノ一本というのがまたいいです。前途が期待される若い女性歌手を支えるピアニストの気分やいかに。シフさんもずいぶん気合が入ったことでしょう。しかし、決して歌を殺すことはなく、二人三脚で見事なバランスです。

 旋律もシンプルですし、音数の少ないピアノが柔らかな歌唱にぴったりと寄り添っていて、聴いていて大そう気持ちが良くなりました。少し寒い日に聴くと合います。歌曲もいいものですね。 

Italian Songs / Cecilia Bartoli, Andras Schiff (1993, Decca)