![$あれも聴きたいこれも聴きたい-February & Heavenly](https://stat.ameba.jp/user_images/20130202/16/memeren3/96/e6/j/t02200194_0227020012402121379.jpg?caw=800)
今回のアルバムでは二つの人格がついに合体したのかと思いましたが、そうではありませんでした。前半がフェブラリー、後半がヘヴンリーときっちり分かれています。初回限定版だと盤が分かれているようですが、私が持っているのは一枚に合体したバージョンです。
川瀬さんによれば、もともとフェブラリーのアルバム企画が進んでいるところに、ヘヴンリーのシングル曲が発表されることになったりした結果、一緒にしちゃえということでこのアルバムになったそうです。もともとは一人の人間の明と暗を表現したものですから、同居している方が自然かもしれませんね。
別々に聴くと、両者が交錯しているように思いましたが、こうして同居してみるとしっかり使い分けられていることがわかります。歌い方も違いますし、歌詞の世界も違います。♪マシュマロ・サンドはいかが?♪とフェブラリーが話を向けても、♪お菓子の箱じゃたどり着けない♪とヘヴンリーが拒否しています。
しかし、今回は共同アルバムということで、二人の世界はある程度意図的に交錯しているようです。歌詞だけではなくてサウンドも、打ち込みのフェブラリーとグランジのヘヴンリーという基本的な違いはあるものの、フェブラリーからギターっぽいサウンドも聞こえてきます。微妙に交錯しているわけですね。
川瀬さんはまずアルバム全体のストーリーを考えてから一曲一曲の歌詞を書くことで、言葉の重複を避けながら一つの統一した世界観を表現しているそうです。今回は二つの物語ですね。薄膜で仕切られた二つの世界が、膜を通して双方向ににじみ出ているようなイメージです。かなり高度な技だと思います。
この二人は、一応、フェブラリーが明、ヘヴンリーが暗とされています。しかし、道教の教えを借りれば、陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となるわけで、歌を聴けば聴くほどどちらがどうとも言えなくなってきます。
掘り下げていくとそうなってくるんでしょうね。ただ、今回はやはり時が経ったということで二人は大人になった気がします。大人になってしまった子どもの屈託というのでしょうか。少し分かりやすくなってしまいましたね。
サウンドは相変わらず素晴らしいです。改めてブリグリを聴き直してみるとやはり違うんだなあとしみじみ感じます。サウンドのスタイルが違うのはもちろんですが、曲の佇まいがかなり違います。こちらは自分を演じているようなところがあります。演じている自分を見ている自分。その姿勢の違いなんでしょうね。
冒険があるわけではありませんが、これまでの延長線上にまた一ついいアルバムが届けられたなというところです。
February and Heavenly / Tommy February6 & Tommy Heavenly6 (2012)