$あれも聴きたいこれも聴きたい-グレープ 全国のさだまさしファンの皆様には申し訳ありませんが、私はさだまさしが大好きというわけではありません。このCDもタイム・スリップ・グリコのおまけです。さだファンの皆さん、すみません。最初に謝っておきます。

 これはさだまさしの結成したグレープの第2弾シングル。彼らはこれで大ブレークし、その後、「無縁坂」等のヒットをとばしますが、ほどなく解散、その後のさだまさしのソロとしての成功は皆さんご存知の通りです。

 この曲は、「切なさ」のパロディーです。とにかくメロディー、バイオリンの音、歌詞、すべてが「どや、切ないやろ」と主張しています。さださんはボーカリストとしてはややもの足りないですが、メロディー・メーカーとしての才能はなかなかのものだと思います。

 しかし、本人は、ストーリー・テラーとしての自分を愛しているようです。私の田舎でも灯篭流しがありました。この歌に描かれるような悲劇もありました...多分。夏になるとほんのりと思い出す感傷的な情景。感傷は他人と共有することで、甘さ、すっぱさ、甘酸っぱさが倍加します。

 たまにはそういう気分を味わうのもいいもんです。私、この歌は結構好きなんですよね。ただ、あまり浸り過ぎると引きこもってしまう危険もあります。

 この頃のさだまさしは、初々しかったです。「先輩、今度デビューすることになったんっすよ。よかったら聴いてみてください」「どれどれ、なかなかいい曲じゃないか、頑張れよ」「ありがとうございます」ってな感じでした。ところが、その後のさだまさしは、社長になって、朝礼で人生訓を語っているような感じになっていきました。そこがどうも好きになれないところです。

 ここでタモリつながりなんですが、一時、タモリさんは日本の私小説とともにニュー・ミュージックを「女々しい」と批判し、その尻馬にのるマスコミがオフコースやアリス、さだまさしの音楽、それを聴くファンをバッシングしたことがありました。そういう音楽を聴くのはおしゃれの対極になった時期があったんです。

 その時、オフコースは動じませんでした。谷村新治は媚びた。さだまさしは依怙地になった。ファンも同じだった気がします。

 かくしてさだまさしの世界はますます研ぎ澄まされて、ファンとの絆はより深まります。コンサートは「合宿」となって旅行になりました。ビデオを発売すれば10巻組。アルバムにはセルフ・ライナーが書かれて、聴くポイントが提示されました。

 門外漢には参入障壁はとても高いです。気軽にアルバムを買える状況にはありません。だからグリコのおまけです。申し訳ありません。

 ところで、さだまさしのビジネス・モデルで興味深いのは、新聞の使い方です。新作やビデオの発売に際して、全国紙に全面ぶち抜きで広告を打つのは彼が始めではないでしょうか。普段、音楽メディアに接することのない人を対象にしているということです。さだまさしの音楽しか聴かないというコアなファンと、昔はよく音楽を聴いていたが、今やCDを買わなくなって20年という層がターゲットか。

 いろいろな面で考えさせられる人です。

精霊流し / グレープ (1974)