$あれも聴きたいこれも聴きたい-ジャックス 私の実家は構造がやや複雑だったので、私の部屋からトイレに行くまでに真っ暗闇の中を遠回りしなければなりません。極端に幽霊に怯えていた私は、夜中に便所に行くことになったらどうしようと不安でなりませんでした。

 そして、暗闇の中での静寂が何よりも怖かったので、夜寝る時にはラジオをかけて寝ていました。そんなある晩、ラジオから流れてきたのは、ジャックスの「からっぽの世界」でした。背筋が凍りつく恐怖を感じて、あわててラジオを消しましたが、その晩は眠れませんでした。

 当時は中学生でしたから、ジャックスの「からっぽの世界」が発表されてから4,5年が経過していた計算になります。曲名も演奏者も全く分からず、奈落の底に突き落とされるかのような感覚は強烈に残っているにもかかわらず、それから長い間、この歌は幻の歌でした。

 ジャックスはリアル・タイムでもほとんど売れなかったようで、4,5年後にはもう痕跡すらありませんでした。そんな彼らが再評価されるのは、日本にもパンクが登場した頃です。特に、日本のパンクの帝王、ザ・スターリンの遠藤みちろうさんの功績が大きいと思います。

 しかし、「からっぽの世界」は歌詞に自主規制用語が用いられているということから、東芝レコードは再発に応じませんでした。そういうわけですから、私にはどうやらあの曲は「からっぽの世界」らしいとまでは見当がつきましたが、実際に音源を手に入れるまでにはさらに時間がかかることになりました。

 ただし、リーダーの早川義夫さんのソロ・アルバムは以前ご紹介した通り、大学時代に入手してよく聴いていましたし、ジャックスのアルバムも「からっぽの世界」抜きのものは聴いていました。まさに隔靴掻痒でした。

 ジャックスは、高校生のバンドがコンテストに入賞してメジャー・デビューするという、書いてみればとてもシンデレラなバンドでした。しかし、こんな筋書きから想像される音とは似ても似つかないものです。しかも、当時は、猫も杓子もグループ・サウンズな時代だったにもかかわらずです。ただ、この作品のジャケットはGSの感じですね。マオ・カラーに細かい柄のドレス・シャツ。

 これはジャックスのデビュー・アルバムです。音数は少なく、かっちりと構成された演奏というよりも、フリーな感じの演奏で、ジャズっぽいところがあります。一方、ボーカルはねっとりと情念たっぷりで、演奏とぴったり合っているという感じがあまりしません。それぞれが我が道を行っています。

 実際、冒頭の「マリアンヌ」では、「久しぶりにドラムと歌のリズムが合った演奏でした」なんていう早川義夫の感想がジャケットに書かれています。同じく感想で、メンバーは機械の調子が悪いとかいろいろ言っています。まあ、そんなに上手じゃないということもあったのでしょうね、不思議なテイストになっています。とてもサイケデリックでいい味です。

 この作品には、遠藤みちろうさんの定番になっている「マリアンヌ」、恐怖の「からっぽの世界」、名曲と言われる「ラブ・ジェネレーション」など、ジャックスの代表曲が網羅されています。そもそも彼らのアルバムは2枚だけですし、オリジナル・メンバーで後に歌謡界に転じてWINKなどを手掛けることになる水橋春夫さんは、このアルバム発表直前に脱退してしまいますから、オリジナル・メンバーによるアルバムはこれ一作。セックス・ピストルズのようです。

 「あれは音楽じゃないとかいう発言の底は、何々は何、何々は何と頭の中でノートを作っている人なのです。そのように、転がろうともしない石になった固定観念を捨てましょう。すべてのものをいつも新鮮な目で見ることができるよう、子どもに戻るべきです。」

 早川義夫の言葉です。いかにも若書きですが、真摯に音楽に向き合い、むき出しの裸身で世間と対峙するストイックな中に、若干俗っぽい顔が見えるところがかっこいいです。

ジャックスの世界 Vacant World / ジャックス (1968)