$あれも聴きたいこれも聴きたい-桃山晴衣 松田翔太が松田聖子に教わった唄を書きとめたものが「梁塵秘抄」です。大河ドラマ「平清盛」を見ていない人には何のことか分かりませんね。役名で申し上げますと、後白河法皇が白拍子乙前を師として学んだ今様を集大成したものです。

 800年も前の大衆の間に広く行われた流行歌を書き留めたというのは世界的にも類を見ない偉業であると思います。歌詞編10巻と伝承や口伝を記述した10巻、あわせて20巻あるそうですが、現存するのはほんの一部のみなのが残念です。

 梁塵秘抄とは、声の響きに梁の塵が起つことから名づけられたということで、平安末期の歌謡黄金時代ぶりをよく表していると思います。

 このアルバムは1981年に桃山晴衣が発表した作品です。彼女は、一言で形容するのが難しい人です。三味線は家元を務められた実力者ですし、古曲や中世歌謡、古典と民族音楽を融合させた独自の音楽世界を切り開いた人です。それも、伝統を伝統として受け継ぎながら、現代に生きる歌を作り出している方です。

 発表当時は、なぜか邦楽が気になっていた時期で、三絃の西潟昭子さんと梁塵秘抄の桃山晴衣さんは特に私の記憶に残っています。この作品はミュージックマガジンの中村とうようがプロデュースしたこともあって、結構有名でしたしね。まああんまり熱心に聴いていたわけではなかったのですが、平清盛つながりでCDを買い、後ろめたさを解消した次第です。

 この作品は梁塵秘抄に収められた歌詞に桃山さんが曲をつけて歌った全12曲が収められています。当時のレコード帯には「ヤポニスタン混文化王朝の幻の歌謡がいま甦る」とタタキ文句がついています。ヤポニスタンはシルクロード日本を表わす中村とうようの造語です。

 桃山さんは日本の歌は鎖国以前はもっと生き生きしていたのではないか、中村さんはよりインターナショナルに開けていたのではないかとおっしゃっていて、それを表現した言葉ですね。実際、楽曲の伴奏にはシルクロードの楽器、胡弓やウードなどが使われていて、全く違和感がありません。

 取り上げられた歌詞のうち、最も有名なものは「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、わが身さえこそゆるがるれ」です。遊びが本性という意味だと普通に思っていましたが、遊びを遊女の遊だとして、全く違う意味にとる解釈もあるんですね。

 他の歌詞も諧謔味にあふれていたり、市井の人々の人情を感じさせたり、面白い。一番驚いたのは、「恋い恋いて、たまさかに逢いて寝たる夜の夢は如何見る。さしさしきしと抱くとこそ見れ」ですかね。露骨な描写が爽やかです。

 そんな歌詞を、三味線や先にあげた胡弓などによるとてもシンプルな伴奏に乗せて桃山が唄う。その節回しは、民謡とかそういう私が慣れ親しんできた日本っぽいものというよりも、確かにもっとインターナショナルなワールド・ミュージックです。不思議なものです。最後の曲だけは越天楽になっていて、これは日本くさくてちょっとほっとします。黒田節ですからね。

 言い換えれば同時代っぽい。平安の庶民の世界を古い時代のものとして学ぶというよりも、今、世界のどこかで実際に同時代を生きている人のように感じるということです。とてもシンプルで美しい唄の力を感じますね。本当に力強くて美しい音楽だと思います。

遊びをせんとや生まれけん 梁塵秘抄の世界 / 桃山晴衣 (1981)