あれも聴きたいこれも聴きたい-高橋悠治 学生時代に現代音楽に興味を持ったことがあります。そんなわけで、その頃から高橋悠治の名前を知っておりました。そうしたところ、彼が学園祭で演奏するということを聞き付け、勇んで見に行きました。

 そうしたら、なんという事でしょう。現代音楽の寵児を期待して見に行った私の前で繰り広げられたのは水牛楽団のライブでした。眼鏡をかけた女性が、「じ~ん~み~ん~の~」なんて歌っていらっしゃいました。アジア人民の抵抗歌だったんですね。

 その時の彼の印象は、小汚いなあというものでした。ロック歌手よりもずっと小汚い。それに貧乏くさい、と貧乏くさい学生だった私は思ったものでした。もちろん、私の単なる田舎者の貧乏くささとは違って、彼の場合は、左翼的積極的貧乏くささ、思想信条的小汚さだったわけです。

 とまあそんな印象が強烈だったせいで、何やら遠い人だったわけですが、紙ジャケで発売された時にコレクター魂から購入したのが、このシリーズです。彼がドビュッシーを録音しているとはこの時まで知りませんでした。

 収められた曲は、ドビュッシーが40代に作曲したピアノ曲、「映像」第1集と第2集、「版画」、それに「喜びの島」です。

 「映像」は特に有名ですよね。それぞれ三つの曲に分かれていて、「水の反映」や「そして月は廃寺に落ちる」とか「金魚(まあ鯉でしょうねえ)」などの写真のような題名がついています。表題の通り、とても視覚的な曲調です。

 ジャケットは水面の写真ですから、映像第一集の第一曲「水の反映」を表したものです。ドビュッシーは印象派と言われますから、ジャケットに印象派の絵画が使われることが多く、強迫観念のようになっています。このジャケットは絵画ではありませんが、その呪縛に囚われているようです。

 クラシックの楽曲についてあれこれ言うのは、基本的な知識が欠けているので、恐ろしいことなのですが、あえて言わせて頂くと、ここでの楽曲はジャズのピアノに近い気がします。クラシックというと楽曲の構造がかちっとしていると思うのですが、ここでは音の響きが何よりも優先されていて、じゃらじゃらと揺れるような曲になっています。とても聴きやすくて、聴き入ってしまいます。

 高橋悠治の演奏はとても硬い印象を受けます。硬いというと語弊がありますか、硬質と言い直した方がよいでしょうか。「映像」はミケランジェリの演奏を決定盤とするようですが、その演奏に比べると、硬いんですね。冷たいとも言えるかもしれません。

 てな具合に、50代からのクラシック入門の旅は続きます。

Claude Debussy : Images I/II, Estampes, L'ile Joyeuse / 高橋悠治 (1975)

クラシックの場合、どんぴしゃの映像がない時には、曲を優先するか、演奏者を優先するか迷いますが、今回は、高橋悠治さんの面白い映像が見つけられなかったので、曲で。高橋悠治とは似ても似つかぬ演奏です。すいません。