あれも聴きたいこれも聴きたい-LaurynHill 米国の作家、スーザン・ソンタグによれば、アーティストは「模範的な受難者」となります。若干、訳語がこなれていませんが、苦悩することに価値を置くキリスト教的人生観の中で、苦難する姿をみせることが人々の共感を呼ぶのだと勝手に解釈しましょう。

 全人類の苦悩を引き受けるとキリストになってしまいますが、アーティストには多かれ少なかれそういうところがあるのかもしれません。苦悩の果てに自殺してしまったミュージシャンを思っていただければわかっていただけるかと思います。このローリン・ヒルも時代を代表する苦悩する女性です。

 彼女自身は中流家庭に育って、コロンビア大学に入学していますから、不幸な生い立ちを背負っているわけではなく、王家に生まれた苦悩する人、お釈迦様タイプに分類されるでしょう。

 このアルバムは、ご案内の通り、彼女のソロ・デビュー作ですが、全世界で1200万枚を売ったモンスター・アルバムになりました。もう14年も前のことです。その後、彼女は人種主義者のレッテルを張られて散々な目にあったり、成功に伴うありとあらゆる苦悩を一身に引き受け、本格的な音楽活動は行わないまま、より具体的にはセカンド・アルバムが発表されないまま現在に至ります。これほどアルバムが待望されている人はいないでしょう。

 ほぼ完ぺきなアルバムだと思います。どこからどう聴いても素晴らしい。ゴスペル、ヒップホップ、R&B、カリブ系の音楽がミックスされて、激しくソウルを感じる音に仕上がっています。ブラック・ミュージックはコンピュータの一般化でお手軽なつくりが多くなりましたが、この作品は実に丁寧に真正面から真摯に音と向き合って作られています。賛辞を贈るしかないですね。

 この日本盤CDでは、三人の方が解説を書いていますが、いずれもローリンに心酔している様子が伝わって心温まります。特に、まじめに苦悩や歓喜を表現する奥の深い歌詞とがっぷり四つで格闘した注釈付き訳詞のミッシーナさんの仕事には拍手を送りたいです。そういうフォロワーを生む音楽なんですね。実に真摯。

 彼女のボーカルは素敵ですね。メアリー・J・ブライジが一曲一緒に歌っていますが、割と対照的な声です。ローリンのボーカルの方がラップ向けだといえるかもしれません。低めで割れた感じ、線が細いが強い声、そんな声です。

 全体に重いアルバムです。フージーズ時代の葛藤、社会に対する苦悩、愛を巡る苦難、何もそこまで、と言いたくなりますが、そこが魅力の第一です。この時、ローリンはわずかに23歳。母になった力強さで、どうしようもない社会に立ち向かって仁王立ちしている姿は、特に女性の心を強く揺り動かしたのではないでしょうか。

 グラミー賞でマドンナの「レイ・オブ・ライト」を抑えてアルバム・オブ・ザ・イヤーに輝いたのも何かの象徴でしょう。その後の歩みは対照的な二人ですけれども。

The Miseducation of Lauryn Hill / Lauryn Hill (1998)