あれも聴きたいこれも聴きたい-Tommy
 川瀬智子によれば、トミー・フェブラリーとトミー・ヘヴンリーは双子なのだそうです。双子は同時期にベスト・アルバムを出しましたが、その中でついに共演を果たしました。第三の人格も開発中だそうですが、私はこれ以降、沈黙しているフェブラリーの行く末が気になります。

 私はトミー双子のファンです。ベスト・アルバムを持ちだしてファンだと言うのはいかがなものか、と言われるそこのあなた。オリジナル・アルバムも全て買った上でのベスト・アルバムです。どうです。ファン度の高さが分かると言うものでしょう。

 種を明かせば、結局、双子はともにブリリアント・グリーンの変名ですが、このフェブラリーのコンセプトはかなり面白いものでした。アナログ・シンセっぽい音満載で80年代風の哀愁のエレポップ路線が全開です。奥田俊作はさすがに曲作りが達者です。

 アレンジも含めて見事な匠の技だと思います。そして、そこにトミー・フェブラリーがのっかって、とても奇妙なバランスが生じます。結局、この二人は結婚するわけですけれども、どちらが欠けても成り立たない二人だけに当然といえば当然です。

 このベストにはビデオ・クリップ集のDVDがついています。それが目当てで買ったと言えないこともありません。このPVを見ると、より彼女の人格がはっきりします。私もいい歳のおっさんなので、アイドル、トミーに胸がキュンとしてメロメロなんですぅ、というつもりはありません。

 この人の場合、自分の理解の埒外にあるといいますか、これまで生きてきて、それなりに培った美意識では足りない気がします。とても大事なことを知らない言葉で話されているのを横で聴いているような焦燥感、疎外感に胸騒ぎがします。

 理解しようとすると指の間をするりと抜けてしまう、そんな感じがとても深い楽しみをもたらしているのだと思います。もともとアイドルのエッセンスを抽出して純化して再構築している、すなわちパロディーだと思っていました。しかし、それはおっさんの解釈というものです。

 対象化して再構築などという分析的なものではなくて、内面から自然に出てくるものなのでしょう。女の業というものでしょうか。演歌のようですが、ああいう男目線で見た女の業ではなくて、女の女による女の業の表現。

 同じような胸騒ぎを感じるのは、辛酸なめこのプリンセス・コスプレ。写真家では澤田知子。ころころした彼女がクラスの集合写真の顔をすべて自分の顔にしてしまっている姿。はてなマークが飛びますが、これを分からなくちゃいけない、という強迫観念にすらとらわれます。

 楽曲は素晴らしいですし、歌も演奏も一級品です:。十分楽しめていると思うのですが、本当にそれで良いのか。どこまで行っても、どうにも理解できない感じを残すところが、彼女の最大の魅力です。平行線ではなく、ねじれの位置。こういう音楽に出会うとぞくぞくします。

 ところで、ファースト・アルバムに入っていた名曲「トミーフェブラッテ・マカロン」が収められています。この曲の一節、♪引力で抱き寄せて♪のフレーズが大好きなのですが、この曲は比較的理解の範囲内にあってほっとさせてくれます。そういう瞬間もなくちゃね。

Edited on 2017/12/24

Strawberry Cream Soda Pop Daydream / Tommy February6 (2009 DefSTAR)