あれも聴きたいこれも聴きたい-EP-4
 何とも言いようのないジャケットです。ジャケ買いする人は誰もいないことでしょう。何の意味があってこんな写真をわざわざジャケットに選んだのかと訝しく思う人も多いでしょう。しかし、これは私の世代にはとても有名な写真です。

 写真家藤原新也が撮影した「金属バット両親撲殺事件現場」なんです。1980年に起こったその事件は予備校生による親殺しというセンセーショナルな事件でしたから、当時の若者の記憶に鮮烈に残っています。私も犯人の名前を今でも覚えているほどです。

 EP-4は京都にあったクラブ・モダーンで誕生しました。クラブに集まっていた6人の若者によるバンドで、リーダー格だったのはタコの音楽監督でもあった佐藤薫です。佐藤とEP-4はこの当時のインディーズ・シーンで別格の存在感を示していました。

 当時は、浅田彰や中沢新一などニュー・アカデミズムが時代を彩っていました。白難解、黒難解などと言われる難しい本が流行し、私も随分と難しい本を読んだものです。そんな時代風景にあってEP-4は格好の素材としてさまざまな語られ方をしたものです。

 彼らも世間の注目を逆手にとったメディア戦略を敢行します。本作品を発表するに際し、発売予定日の5月21日には1日で京都、名古屋、東京をまわる発売記念ライブを実行することを決め、その告知をステッカーにしてあちらこちらに貼りまくります。

 もちろん許可を得たものではなかったのでしょう。私は高田馬場の公衆電話に貼られているのを見つけて喜んだものです。今ならSNSで情報が拡散することでしょうが、当時はそんなものはありませんでした。まさにフィジカルなゲリラ活動です。

 5月21日は同時に2枚のアルバムを発売する予定とされ、その一枚がこの作品です。しかし、発売日には間に合いませんでした。もともとのタイトルは「昭和崩御」が予定されていましたが、メジャー・レーベルですから、そんな不敬な名前は通りませんでした。

 結果、レーベルは。昭和大赦でもまだ不安を隠せず、帯でタイトルを隠した上に「リンガ・フランカ1」なる別タイトルまで用意されました。さらに、ゴージャスな軍鶏の写真をあしらったジャケットもこの禍々しい写真に変更されています。レーベルはこれでよかったのでしょうか。

 このようにかなりお騒がせな作品なのですが、中身は全曲がファンク・ビートのインストゥルメンタルでお騒がせ要素はありません。ただし、藤原新也氏が書いているように「健康獲得という効用に背反する絶対毒を常に癒着させている、ヴィタミン剤に似てい」ます。

 自分たちはファー・イースト・ファンクと自らのサウンドを形容しています。若杉実氏はライナーにて「ロボットフッド・プロセス」を「あらためて聴き直した時、オレはすぐさまアブストラクト・ヒップホップをイメージした」と書いています。

 確かに成熟したヒップホップないしはクラブ・ミュージックのサウンドに慣れ親しんだ耳には親しみやすいことでしょう。私としては当時のハウス以前のビート感覚によるクールなファンク・サウンドに気分が高揚します。カッコいいサウンドです。

Rewritten on 2017/10/1

Lingua Franca-1 / EP-4 (1983 日本コロンビア)