あれも聴きたいこれも聴きたい-Schola
 じゃじゃじゃじゃーん!...「うんめーえ」。下らないオヤジネタで申し訳ありません。桂文枝のキットカットのテレビ・コマーシャルです。もう何十年も昔の話だと思いますが、いまだに「運命」を聴くたびに作曲家鬘をかぶった文枝師匠の顔が出てきます。

 世はなべて「学ぶ」ブームです。私も勉強くらいしか能のない人間なので、学ぶという言葉に弱いです。坂本龍一教授が音楽の学校スコラを開設してから早2年。全30巻のうちの第7巻まで到達しました。いよいよベートーヴェンです。

 若い頃は「クラシックなんて」などと嘯いていたので、ほとんど聴いてきませんでした。そんな私でもベートーヴェンはよく知っています。ピアノ曲や交響曲の数々はそれこそ聴いただけで分かります。まあ当たり前ですか。

 私の若い頃は、ベートーヴェンの存在は圧倒的なものでした。クラシックと言えばベートーヴェン、ベートーヴェンと言えばクラシック。教養主義の権化のような存在で、とにかくベートーヴェンが西洋文明に対する踏絵のような存在でした。

 この本でも浅田彰は「ベートーヴェンというと、ある意味ではJ・S・バッハとともにヨーロッパのクラッシック音楽を代表する権威主義的な存在だった」、坂本龍一も「ベートーヴェンなんて本当に鬱陶しくて嫌だったんですよね。説教臭いなっていう感じ」と語っています。

 西洋音楽に入れ込んでいるお二人にとってもそうだというのは意外な感じもしますが、クラシック自体に反感を持っていた私などにとっては権威中の権威、大権威ですから、ロック的には「ベートーヴェンをブッ飛ばせ」なわけでした。

 何だか雷オヤジ的な存在です。そんな感覚をもって育ってきたので、ベートーヴェンと並ぶ存在は楽聖バッハくらいだと思っていました。ところが、大人になって周りを見渡してみるとやたらとモーツァルトがもてはやされています。

 ベートーヴェンにはナンバー1でいてほしいと思う心情から、モーツァルトごときに負けてもらっては困るなんて思った日々が懐かしいです。だからと言って、ベートーヴェンを聴きあさったわけではありませんけれども。

 多少はクラシックを聴いてみようと思い立った者としては、そびえたつ巨峰ベートーヴェンは避けて通れません。そんな私にとって、このスコラ第7巻は全くありがたい存在です。楽聖ベートーヴェンが上記のお二人に小沼純一を加えた鼎談でぐっと身近な存在になります。

 ベートーヴェンは「レンガ職人」であるとは見事です。労働の歌、大真面目に人類愛を歌い上げる男ベートーヴェン。完璧な音楽、息苦しいまでの賛辞の嵐は、そっちの方向を向いているようです。質実剛健。レンガを積むように曲を作っていく人。

 一方で「ベートーヴェン黒人説」なるものもあるほどの懐の深さ。巨峰は巨峰だけに、汲めども尽きぬ楽しみがあるようです。CD収録ではフルトヴェングラーの交響曲第7番の魅力に気付いたのが最大の収穫でした。何とも素敵な音楽でした。

Commmons: Schola vol.7 Beethoven (2010 Commmons)

(2015/5/9 Edit)