あれも聴きたいこれも聴きたい-坂本真綾
 随分前に若い女性の同僚から坂本真綾の名前を初めて聴きました。オタクの弟が朝から晩まで聴いている、という話でした。その時以来、ずっと坂本真綾のことが気になっていたのですが、声優さんを取り巻く分厚い壁に跳ね返されて、なかなか聴けませんでした。

 日本の大衆音楽の世界には、ロックやポップスとならんでゲーム、声優などというジャンルが厳然と存在します。TVゲームは大好きですが、なかなか音楽を鑑賞しようという気にはなりませんでした。チープな音だった頃のイメージが強すぎたんだと思います。

 一方、声優さんの方はちょっと違う世界の人々です。その世界に入って行ってしまえば、音楽を聴くだけでは済まなくなる。お友達も一新して新たな世界が開けてしまい、まっとうな社会人としての自我が崩壊する、そんな偏見を持っていました。

 思えば、ロックが出だした頃の大人社会の反感と共通するものがあるのかもしれません。音楽にとどまらないライフ・スタイル全体に与える潜在的な影響を強く意識してしまうということです。そう思うと、声優界というのはとてもロケンロールな世界です。

 この作品は坂本真綾の30歳を記念するベスト・アルバムで、菅野よう子のプロデュース時代からセルフ・プロデュースの時代へと移り変わる彼女の軌跡を堪能できます。ダンスを意識しない匠の技としてのポップスを聴くのはずいぶんと久しぶりです。

 大正時代から脈々と流れる歌謡曲の心と技を、現代に発展させて完成させたのは彼女なのではないでしょうか。真正面から堂々と歌い上げる王道路線。日本の歌ここにあり、としみじみと感動を覚えます。カバーする範囲も実に広いです。

 このアルバムは2枚組の大ボリュームです。この時までに発表されたシングル全18枚、アルバム全10枚から本人が選曲した29曲に新曲1曲を加えた30曲。豪華です。そして、さすがにベスト・アルバムだけあって名曲揃いです。

 私が一番好きなのは「バード」です。菅野よう子の単独名義ではなく、彼女を中心とするクリエイター集団名義によるプロデュースとなっている楽曲で、ちょっと凝った展開が美しいです。最後の坂本真綾によるコーラスなんて最高です。

 サウンド・プロダクションも全く卒がなくて、適度に分かりやすく、適度に先鋭的です。ただ、アニメの主題歌もあれば、コンセプト・アルバムの曲もあり、バラエティに富んでいるところが、ベスト盤の醍醐味でもあり、弱点でもあります。オリジナル・アルバムを買おうと思いました。

 彼女は今やオリコンの常連で武道館を満員にする実力派歌手ですが、声優の仕事もこなせば、あらゆる種類の歌に挑戦するエンターテイナーです。堂々たるアーティストですが、仕事を選び過ぎないところにとても好感がもてます。

 中高年にこそお薦めです。何の心配もいりません。坂本真綾の音楽はとても中高年に優しいです。私は彼女の音楽に出会った後も、ファン・サイトに「真綾ちゃんサイコー」などと書き込んだりせずに、とりあえずまっとうな社会人として今日も生きています。

Everywhere / 坂本真綾 (2010 flying Dog)

(2015/4/18 Edit)