私が私であるために                                      ~ありのままの自分でナチュラルに~

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日々の出来事や思ったことを、自由気ままに綴っています。自分の歩幅、スピードで進みたい。猫のように自分のペースを保ちながら。
そして、安心して穏やかな気持ちでいられる暖かな居場所をみつけたい。 

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この世に生まれた時から変わらず

私であるはず


だけど、


主の自分が違ってきているように思うのは

何故だろう…。


幼少期に私だと思っていた性格が

小学校でガラリと変わり

中学校でさらに変わり

高校時代にはこれまでの変化を振り返り

学生時代には多くの刺激を受けながらまた変わり

社会人になり振り返りと変化

そして削ぎ落とし


軸だと思っていた部分のほんの少しが

今でもそのままで

後はほぼ180度変わってしまった


これが大人になる

成長する

ということなの?


別人格になったように感じる


ありのままの私


飾ることなく

素の状態で話せる人と一緒にいると


ワクワク

ウキウキ

嬉しい

楽しい

ハッピー

やったー


この言葉を何度も何度も言っている


そして、時間が経つのを忘れて

笑っている

お腹の底から

声をあげて

笑っている


そんなことに気づいた

とあるマスターが、

焼き鳥屋さんへ連れて行ってくれた。


「友達の店なんだけど、白レバーがんまいんだ!(笑)」


ビルのエレベーターに乗る

…あれ?昔、このエレベーターに乗ったことがあるかも…


来たことあるかい?

…ドアが開くと一面ガラス張りのお店で…


チーン🎵

そうだよ、最上階でガラス張りの店

…あ、そう、ここだ!ワニとかカンガルー‼︎


席に通されビールを頼む


確か、お通しがキャベツで…

目の前に、丼に盛られた山盛りキャベツが登場🥬


店長がやって来たので聞いてみたら。

「昔、来たことがあるんです。もう、31年くらい前なんですけど。」

おう、今年オープンから31年目。

ずっとお通しはキャベツ。

ワニもカンガルーも今でもあるよ!(笑)


連れて行ってくれたマスターが美味しいと言うだけあって、

白レバーの上品な美味しさにはびっくりした。


それよりもびっくりしたのは、

同じ場所で31年間も続いていること。


当時、オープンしたばかりで、

珍しい焼き物もあると、彼が連れて来てくれた懐かしいお店。

いろんなお店に2人で行ったけど、

詳細な記憶に残る程、印象的だった焼き鳥屋さん。


長く付き合い結婚したけど、お別れした彼。


31年振りに行ったんだよ!

なんて報告出来たら素敵なんだけど。


彼は今どこで、何をしているんだろう…。

手首を痛めてしまった時

この先どうしようって

本当に考えた


知らぬ間に痛めていて

思うように動かせなくて

重いものは持てなくて

ドアノブすら回せない


髪を洗うこと

ドライヤーを持つこと

指先で髪の毛を乾かしやすく動かすこと


お箸を使うことことの大変さ

フライパンの重たさ

卵を割る難しさ


雑巾を絞る

鍵を掛ける


そんな日常のことも辛くて

お財布から小銭をだすことすら

大変な作業になっていた


手先が器用な方だったから

手仕事が大好きで

いつかは仕事にしたいと

子供の頃からずっと思っていた


手首は痛く

指先は痺れて感覚が鈍い

自由に細かく動かせることは

決して、当たり前のことではなっかたのだと

ある日突然、現実を目の当たりにした


大好きだったこと

大切な手仕事を辞め

もう6年が経った


少しずつ

本当にゆっくりと

指先の感覚が戻ってきて

痺れる時間も短くなってきて

手首の動かせる範囲も増えてきた今、


どうしてもやってみたい事があった


上手く出来なかったらどうしよう

思うように出来なかったらどうしよう

昔の自分のように出来なかったらどうしよう


不安ばかりが浮かぶけれど

やってみたい気持ちの方が大きくて…


初めて会った人たちに教えてもらいながら

指先をジッと見られていながら

挑戦するのは不安でも

楽しめたらいいな

そんな気持ちと同時に

今の私の指先は、どれくらい動かせるのか

そんな現実を知りたくて


思っていた以上に動かせて

安心と同時に嬉しくて

何か作られているんですか?

と聞かれた事も嬉しくて


昔の自分と比べる必要はなく

今の自分が楽しめればそれでいい


そんな、当たり前のことを

改めて体験出来たことに感謝🍀






「ときぐすり」


この言葉を知った時

なんて素敵な表現だろうって思った


それがどんなことであれ

過ぎ去ったり

乗り越えたり

忘れたり…


時間の経過は必要

長さには関係なくとも


時薬により回復した

そう思っていた


それなのに、

思いもしない出来事で

心の奥底の引き出しが開いてしまい

これまでの治療が元の木阿弥


つまりは、

ちゃんと乗り越えてはいなかった

と言うことなんだよね…


この人生を過ごしている間には

フラットな状態へと昇華させたいな


あとどれくらいの時薬を

処方すればいいのかな