meme future maman

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パリでママンになるよ。

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病院にてのメモ
産まれてからどれくらい後か、分娩室にVとべべが戻って来る。
病室の準備が整うまで、再び元の様に清潔になった分娩室で3時間程待つ。
混んでいたので個室ではなく2人部屋に入る。
母乳か、ミルクかを確認され、母乳でやりたい事を伝える。
夕食にポークのパテとローストビーフとカマンベールチーズが出て
フランスっぽい、と思いつつ食べる。
後の事はあまり良く覚えていない。

2日目の夜は母体を休ませるための赤ちゃんを預けますか?と聞かれるものの
預ける=哺乳瓶での粉ミルク、と思い断る。
けれど、哺乳瓶はない方法(注射器による)での授乳もあって
3日目までは母体を休めた方が良い、4日目からは預からない
という話を後になって聞く。

小児黄疸が2日目から強く出たので
3日目深夜にはUVライトに3時間×2回もあたる。
サングラスをかけて、あせびっしょり。
同時に体重が10%も減ってしまったのでミルクを足す。
3日間で10%って大変だろうに。
哺乳瓶であげるのはイヤなので
注射器で、小鳥にえさをやる様にミルクをあげる。
ライトは夜中だったので、その間眠る事が出来た。
久しぶりの睡眠で、緊張が解けたのか、その日体はぐったり。
体中がガタガタでふらふら。鉄分を処方してもらう。

ミルクを足したので体重が少し増える。
念のため、3日で退院の所を1日のばす。

病院には、保母さん、助産婦さん
が常に沢山いて、24時間何か少しでも不安があれば
ボタンを押して呼び出して
些細なことでも何でも相談できた。
皆の赤ちゃんに語りかけるフランス語の言葉とトーンが
とてもかわいらしく、赤ちゃんはすぐにおとなしくなる。
兎も角大勢の人が診療に、検査に、体調を聞きに、アドバイスをしに
ちょくちょく来てくれるので、助かった。
家に帰るまでに沢山学ばなくては、と特に母乳育児について色々質問する。
午前中には保母さんと一緒にお風呂と顔の掃除
そして、小児科医の検診がある。

あんまり沢山の人がちょくちょく来てれるので
色々質問できて安心だけれど、半日経つと違う人にかわってしまう。
「あの、助産婦さんにありがとう」というのは無いけれど
いつも何かしらの分野のプロがいて、質問お願い出来るのは安心。

4日目、黄疸の値を見る為に採血。人生4日目にして既に3回目の採血。
手の甲に採血の痣ができる。
昼過ぎ頃、検査結果が出て、退院のOKサインをもらう。
退院手続きをする。これだけ色々してもらって入院費用は無料だった。さすがフランス。
買い出しをしてくれたVママとニニンもアパートで合流。
車の振動が気持ちよかったのか、ベビーシートの中でぐっすり。
Vママとニニンがいる間中目をさまさなかった。
3人で家に帰って来れてほっとした。


ご報告。

8月6日(木)AM 10:04
3300g 48cm の男の子が無事に産まれました。
少しウェーブした黒髪、青みがかった深いグレーの瞳
名前は Lenny(レニ)です。
応援してくれた皆さん、気にかけてくれた皆さんどうもありがとう。


****************
日本式予定日の8月5日を丁度過ぎた真夜中頃陣痛が始まる。
Vは職場のパトロンと同僚にメールを送り、出産休暇を取る。
私はシャワーを浴び、身支度を整え
5分感覚の陣痛が1時間半以上続いたので
AM2:30 2人で車に乗り込み、病院へ。
雲ひとつない夜空には満月一日手前の大きな月が頭上に上っていた。

月にひっぱられているのか、病院では出産が相次ぎ
空いている分娩室がないので、診療室で横になる。
Vの隣でべべの心音を聞きながら、陣痛の痛みの波をこらえる。

麻酔医が来て、麻酔をするかの質問に少し迷った物の
お願いします、と答える。

5:30頃、やっと分娩室が空き、移動。
直ぐに麻酔を打ってもらう。
(心配していた注射の恐怖は、、、
やっぱり苦手なものは苦手でした。)
しばらくすると麻酔が効いて痛みが遠のいた。

広く、静かな部屋
白とブルーマリンのタイルの壁
清潔なシーツと音も無くやや強めに聞いた冷房
FMからはクラッシック
痛みが遠くどこかへ行ってしまった事による
心身のリラックスがやって来る。
隣にはV。
とても、静かだ。
まるで「夏のバカンスでギリシャかどこかのファイブスターホテルで
朝を迎えたようだ」と思う。
心が非常に穏やかになって、Vの事をいとおしく思った。

麻酔を使った分娩は賛否両論あるものの
この不思議な時をVと一緒に共有出来た事が
私にとってとても大切なもの、となった。

AM 9:00頃
もうべべはそこに見えてるから、いきみたい時にいきんで!
と言われるが、私は何も感じない。
自分の体の事が感じられないと言う事が、すごく悔しく、もどかしい。
陣痛を感じられない事が原因か
最後で時間がかかり、かつべべがへその緒に絡まっていて
ポジションもあまり良くないという事で
産科医がやって来て鉗子分娩となる。
麻酔が効いているのか、効き過ぎか、鉗子も何も感じず。
べべの頭が出て来ると、やっと感覚という物が感じられ
自分の体の中で力を入れるべき場所を感じる事が出来
そしてべべが誕生した。
初めになんて声をかけよう、とイロイロ考えていたのに
頭の中は空白。
お腹の上に乗せられたべべを見て
ただ涙。

へその緒はパパが切りますか?という質問に
私は「ウィウィ」と答えていたらしいけれど
その間に起きた事はお腹の上にのった暖かいべべの事以外
まったく何も覚えていない。
あの時、私の脳みそはどんな動きをしていたんだろうか。






小雨が心地よく降る中
私とにいにゃは世田谷の庭にいた。
何かを普通にしゃべっていた。
地面はドロドロで、私は足を取られてバランスを失い
「ぺっちゃん」と音を立てながら両膝をついた。
でも田んぼの様にぺちゃぺちゃした泥は心地よく
クッションの様に私の体を支えた。
すると、にいにゃが
「3ヶ月前だったら大変な所だったけど、いまやもう大丈夫。」
と、いう様な事を言ったので
私は自分が妊娠している事を思い出した。


これは月曜日の朝方に見た夢。
にいにゃとは20年程前に他界した、祖父の愛称。
最近にいにゃの事を話した事も、思い出した事もなかったので
起きたときすごくビックリした。だから夢を鮮明に覚えている。
そういえば、3月に日本に帰った時
岡山までお墓参りに行って、べべの報告をしたんだった。
夢は自分が作り出す物だけれど
でも、やっぱりにいにゃが私の所に
「大丈夫だよ」と言いに来た様な気がする。


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meme future maman-090805
8月5日。そう、今日は予定日。
そして明日は満月です。
先週末は”まだもうちょっと”な気がしていて
友人とパリから50km程離れた街の
イタリアンレストランに行ったりしていたけれど
昨日あたりから”もういよいよ”な気がするので
出かけるのも控え気味になって来ました。


私はともかく、最近のVは
8月に入って、夏休みを取るお店が多い事から
仕事上がりもますます早くなって
最近はお昼頃に帰ってくる。
今日なんて新記録の、10時45分(午前中のね!)でした。
まぁ、でも目が覚めてちょこっと何かしているうちに帰って来るので
いつも一緒で安心で良し。
でも、Vはもう仕事どころではない様子。
珍しくニアミスをしたり、終われば超特急で帰って来るし
電話をくれる度に私の体調を聞いてばっかり。
家に帰れば帰ったで、落ち着かないのは変わらず
・パソコンに向かう
・新米パパの本を読む
・ソファーにいる私の隣にやって来る
・最近買ったWiiリゾートをやる
を細切れに繰り返しています。
もう、他の事は手に付かない見たい。

そして私がお腹に手を当てたりする度に
「何かあった?!」見たいな目をして覗き込む。
でも、Vがプレッシャーを感じれば感じる程
私は「まぁまぁ大丈夫だから~。なる様にしかならないよ。」
という気持ちになるから
そういった意味では、Vの感じているストレスやらは
多いに役立ってます。
私の代わりにヨロシクね。
本番は私ががんばるよ。



40w(日=11ヶ月・仏=9ヶ月)