先日、久々の家族旅行に行きました。
同じところに出かけ、同じモノを観て、ホントにたわいもないおしゃべりに大笑いして、お寺や教会で祈り、被災地で気持ちを揺さぶられる、そんな時を過ごしました。
92歳の母が脊柱管狭窄で入院し、そのまま施設に入った方がよかろうと施設探しをしていた時、「治ったらウチに帰る」という母の望み通りにさせてあげたい兄を説得してやや強引に介護サービス付き住宅に直行してもらいました。
ここのところつくづく思うこと、
「家族愛」と「介護」は分けて考えるということ。
病気は「人に罹る」のではなくて、「家庭が病気に罹る」ということ。
要支援2の私より歩くのが大変そうな兄が介護できるとは思えないのに、母の希望通りに自宅に戻ったらどうするつもりだったのだろう。
「介護は愛ではなくて技術なのだから」と介護士の方も言っていたし、施設の方も「共倒れという不幸なケースを数多く見てきた」と。
先日買った古本に「介護している妻へのサポートも重要」とありました。
確かにサポートが必要ではあるのだけれど・・・。
「家庭が病気」なのだから奥さんも患者。
医療は奥さんも含めて家庭を丸ごと治療してほしい。
家族旅行で「くっだらない話に興じたり、馬鹿馬鹿しい記念写真を撮ったり」した時に家族っていいいなあと思ったし、そういう時間が「家庭の治療」という気もしました。
「介護してる人も介護されている人も疲れていく」というのは家族愛なのだろうか。
もちろん介護に頑張っている人に水を差すつもりはないのですが、
少なくともパーキンソン持ちになった自分は「介護してくれる事を家族愛とは思えないなぁ」「もっとくだらないことに時間を使いたいなぁ」と感じた家族旅行でした。
だって、家族愛って楽しいはずなんだもの。
もちろん「好きで介護してるわけじゃないんだよっ!」て言う方がいらっしゃるのも当然。
介護を家族が担わざるを得ないのは、「幸せに生きる権利」をないがしろにしてきた様々な制度や習慣や考え方が根っこなので、一朝一夕に日本が変わるわけもない。
でも、病気を自己責任扱いして、介護を家族愛の形だと押しつけてきた日本という国を洗濯致したく候!
