バスジャックで催眠スプレーか催眠術だと記憶している
朝の通学、直江津から高田駅にむかっていた
前に座っていたワインレッドのベレー帽の子供が眠りはじめていた。落ちそうな感じで
支えようとして
突然、眠ったような感じで目が覚めると、
靴がなく裸足で
カバンが1つ無くなっていたの
全く、記憶が無くなっていた。
みんな、降りる所で降りた人と止まらず通り過ぎ不安顔だった。
一応家に、帰ったが、今の生活のスタート時
だからまだ慣れてないから、
街並みをジロジロ見て
全く知らない来たことのない町だった。

日本で初めて東京都でバスジャック事件のあった時の犯人が50年以上の刑期を終え出所してきたという時だった。
何と新潟県上越市の人だった。
保護司に知っている知り合いの女性と挨拶した。

彼女は、同様の事件の出所者を5~6人担当していて、軽く会釈をしました。

私はバスジャック事件の頃
高田駅行きの電車の中でも、他の乗客と拘束の被害にあい、クロロホルムをかがされ、
記憶が無いまま,愛知県や名古屋市方面にいた。風が左頬に冷たくあたり少し目をあけた。
助手席に私はすわされていて、
裸足にまた睡魔が襲い、
目をつむる一瞬
細く空いた窓に雨が降って、
右側にいた白い人をみたような気がして眠りはじめていた。
次に気づくとなぜか長野行きの電車の椅子に裸足に座っていて傘が無くなっていた。
カバンがあった。お金はなくなっていなかったの

私の車両は満車だった。
確か、目が覚めたら列車のA席だったの
走る汽車にどうしようって怖かった。
手に握りしめていたau日立の大きい携帯電話
黒でガラスがミラーみたいになってる。アクアだったかも。
先程の話しにいったん前後するが、

違う新潟県上越市にいたため
保護司の女性は3人似ている人が、取り替えられてるみたいに私に一人ずつ挨拶したが本人同士は3人いるのを理解していない様子だった。
一人は市内が女性保護司,二人目は現在インターネット動画で拘束されている…というないようで信用されていなかった松居一代さんで、
あの時の様子が後に、
私や多くの日本人日本人に被害が出た不可解な連れ去り事件と同じなので現実に、あのとき
あの人達が大変な被害に巻き込まれていたんだ
話してくれれば協力出来たのになあ。
話していたらお互いホッとできたかもしれないのに、やっぱり私も話さなかったから、そんなもんだと思った。
三人目作家で有名な女性だった。

その後また作家の女性に出合うことになるとは、考えもしなかった。


元に戻る。
私は長野行きの列車が走り出した跡
窓の外を見ていた。
見慣れない風景が続きました。
長野行きの列車じゃないみたい。
県道路の青い看板に愛知県って
びっくりして
長野行きますかって聞いて見上げると
見たことのない人で
驚きビクビクしたが普通に笑顔で聞くことができた。上越警察署員全員がオウム真理教の信者の中でももっとも
誰もが気絶する程恐れる人物達のグループだと言っていたが、病院の中の人達にも驚いたが、

汽車は、信者だけが乗る電車らしく
かなり驚いた。

駅はものすごく見上げる程の銅像が飾ってあって、きれいで怖かった気持ちにおちついた雰囲気が和らいだ。
ずーっと田んぼ。大昔の日本の農家
稲作農家で
けさを一束ずつ、棚にかけてた
広ーい、すごーいって
すっかり忘れて見とれてしまった。

どんどん何にもなくなってきたから、
東長野と言う所に降りた。
軽井沢の手前らしい。
もう少し行くと東京都の原宿だ。

何で信者ないのにここにいるのって
皆口々に話していたので、
おもいきって、話しかけたがやっぱり学生でも、
風変わりに見える人と普通だなって、
普通の人が混ざってるけど、どうするのかなってささやいていて、速く帰ろうって思った。

やっと
やっと
やっといつものヨーカドー
目立たないように、そう短縮してみた
びっくりする手作りの高速バスやバスがボランティアって言ってた。

バス会社の人に聞いたら、
怖いからやめた運転手さんや反対に全国から応援できている持ち込みバスは頸城バスの会社の停留所だけがOKになっていた。