先日一人でお墓参りした。

 

墓前に手を合わせて 

「お義母さんごめんね」と言った。

 

「あの頃は、お義母さんの気持ち分かってあげられなくて」

 

「今なら少しは分かるよ、私も50代、

今になってやっとあなたが理解できるよ」

 

そんなことを呟きながら義母に謝った。

「ごめんね」と。

 

 

 

 

義母に恋人ができたのは50代半ばだった、

と最近になって時々振り返る。

 

その時、夫と私はまだ20代。

 

 

今考えると、40歳そこそこで夫を亡くし、ずっと母子だけの生活。

(末っ子はまだ小学生だった)

 

女手一つでやんちゃな男の子たちを育てる

そりゃー、男勝りな肝っ玉母さんにもなるよね!

 

言葉づかいも行動もすべてに男っぽい義母でした。

 

女性的な部分を全く見せなかった義母に

ある日、恋人ができるのです。

 

その男性と毎月のように旅行するようになる。

 

男性と付き合うことには、誰も文句などないし、

むしろ応援するくらいだった。

 

だけど・・私は時として疎ましく思うのです。

 

 

義母は金銭的なやり繰りが苦手分野で

周囲の人に度々迷惑をかけるのです。

 

家族・親戚・友人・知人に借金してでも我が儘を通す。

 

それが嫌だったのです。

 

義母が留守の間に、お金を貸してるという友人や知人から電話がかかってくる。

代わりに返すこともあった。

 

 

私たちは懸命に育児しながら仕事して毎日頑張っているのに・・と

どうしてもその部分だけは容認できず、苦しむ日々。

 

 

夫に訴えても、ほぼ無駄。

揉めて終わるだけ。平行線です。

 

(この頃は不安だらけで、よく泣いた。)

 

私たちの生活より、義母の意思を優先することが当時は当たり前だった。

 

とにかく義母の言う事が一番なのだ!

 

そういう親子関係、そしてそれが当然と思っている子どもたち(夫の兄弟姉妹も)。

 

一家の大将である義母に逆らうことなど出来ない関係性なのだ。

 

 

最初は私にとっては驚くようなことばかりだった。

 

そして(母子家庭の親子の絆がこんなにも強いものか!?)と

痛感させられる出来事がしばしば起きた。

 

 

そんな環境下で私は、自分の家族を子どもたちを

私がしっかり守らなければいけない!!

 

夫とも義母とも戦わなかったら、私たちの家庭は崩壊する(=離婚)

 

現に夫の兄弟の一人は結婚生活2年で、義母と折り合わず

揉めに揉めた末に離婚した。(逃げていった)

 

そんな時の義母は毒親ならぬ猛毒、牙をむく。(仕返しする)

若い頃の私は、怖いと思ったことが幾度もあった。

 

 

私たちもどうしようもない理不尽な危機感と隣り合わせだった。

 

義母のこと、何度も嫌いになりそうだった。

 

正直、嫌った時期もあった。

 

(どうしてそんなに私たちを苦しめるの?)

 

まるでグレた中学生がそのまま大人になったようだった。

 

気に入らないことがあると

睡眠薬を大量に飲んで皆を困らせる。

ふらっと飛び出して家出する。

親戚中でいよいよ捜索願を出そうか・・そんな相談をする。

交通事故を起こす。

警察や救急車から連絡がくる。

 

 

どれだけ振り回されたか分からない。

 

 

流石に産後すぐの時には、私の魂が弱っていて涙が止まらなかった。

 

 

 

それでも義母は、私の子供たち(孫)にはよくしてくれた。

出産で入院の時や、子どもが具合悪い時などは、お世話にもなったし助けてもらった。

そういう面ではとても感謝している。

 

 

 

50代の義母が、恋人と寄り添うようになる。

 

その男性はかなり年上だったので、義母より早くに天へと旅立つが

最後の最後まで義母が彼のお世話をして見送った。

10年くらい半同棲的なお付き合いだった。

 

 

その間は、義母は女性らしい一面を見せることがあった。

普段着ないような華やかなワンピースを着たり、メークもおめかしする。

 

旅行先ではきっと恋人にしか見せない可愛らしい顔も見せたでしょう。

 

女性性を感じたり、自分の中にある女性に出合う時は、

やはりそこには男性がいるから・・よね?

 

自分の傍にいる男性が、自分を女性にしてくれる。

いや、自然と女性らしくなれる。(のではないかな)

 

優しさとかちょっと柔らかい雰囲気の可愛げのある義母が、そこにはあった。

 

 

 

そういう事が、今になって分かるのです。

 

同じ50代の女性として、義母の女性性の部分がようやく理解できる。

 

 

20~30代の私には、その頃の義母の気持ちが分かっていなかったと思う。

 

 

私自身が50代になったら?

 

その時の自分の身体がどう変化しているのか?

心と身体のバランスがどんなふうなのか?

その頃のSEXライフはどんななのか?性欲はどんななのか?

夫とどんな夫婦生活を送っているのか?

 

10年20年前の私は、

10年後20年後に訪れる50代の私自身を

全く想像できなかった。想像しようともしなかった。

 

 

女性性について、こんなに真剣に考える日が来るなんて

夢にも思っていなかったし、ついぞ3年ほど前までは

そんな事これっぽっちも考えていなかったのです。

 

歳を重ねた今だから

分かることがいっぱい!

 

それでも10年先、20年先の私が

60代、70代の私が

どんな思考で、どんな身体になっているのか?

未来への想像力もなく、未知の世界なのです。

 

その歳の自分自身に出合わなければ、分からないこと。

 

 

80代になった義母は、晩年よく「寂しい」の言葉を口にした。

 

恋人も親しかった友人も、気を許した姉妹も、

義母より先に旅立ってしまい、大病をした頃から

「寂しい」

「寂しい」

「独りで寂しい」

そればかり口癖のように繰り返していた。

 

 

その気持ちは言葉では理解できても、本当の「寂しさ」が

今の私にはまだ分からないのです。

 

殆ど寂しいと思ったことがない私にも、いつか80歳くらいになったら

寂しいと思う日が来るのでしょうか?

 

 

「お義母さんごめんね」

「分かってあげられなくてごめんね」

 

「たくさんのことありがとう、感謝してるよ」

 

 

 

そうして、現在の私は

ずーっと蔑ろにしてきた私自身の

女性性や身体と真剣に向き合っているのです。