昨日は、京都コンサートホールで牛田くんのリサイタルでした。



7月だというのにとても暑くて、出かけるのを躊躇してしまいます。

京都は特に暑いですからね。

でも前日の岐阜でのリサイタルの様子をSNSでみて期待値が高まりました。


最寄りの地下鉄の駅(烏丸線、北山)の地上出口から、屋根付の歩道があって、
日差しを避けることができます。


プログラム


ラヴェル:ソナチネ 嬰へ短調 M.40
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178 


グバイドゥーリナ:シャコンヌ 
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D 960



開演前、早い段階から客席は静寂に包まれてました。

私のお隣の二人連れの方は、その雰囲気に驚いていたみたい。

確かに小さめのホールだと、割と静かな時もあるのですが、

この大きなホールでは珍しいかもしれません。

扉が開いて牛田くんが登場。

今日の席は、久しぶりの舞台近くで、
牛田くんの表情もよく見えます。

清らかな水の流れのような、ラヴェルのソナチネ。

その流れの上に雫が落ちるように、
とても柔らかな音がかすかに響く。

この小さな音も、音響の良いホールの隅々まで届いているはず。

可憐なメヌエットに続いて、生き生きとしたフィナーレへ。

外は猛暑だけど、ここは春のようでした。

でも、心地よい気分はここまで。

リストのソナタで空気は一変します。

牛田くんのロ短調ソナタは、2016年から2017年に3度ほど聴いています。

あたりまえですが、その時より格段の素晴らしさでした。

分厚い和音、妖しげな悪魔の囁き、
天国に昇天するかのような響き。

時を経て、この壮大な世界観に浸れることができました。


休憩を挟んで、シャコンヌ。

この曲では譜めくりの方がいたのですが、牛田くんは、ほとんどは見ていないようでした。

この前衛的な音楽を、私のような物が理解できる技量もないし、正直好みではないです。

でも、牛田くんが演奏してくれることで、こういう音楽に触れることをできました。


そして、シューベルトのソナタ。

この曲は、シューベルトが亡くなる2ヶ月前に作曲されたもの。

私は、この曲を、
自分の死期を悟ったシューベルトからの、

永訣のメッセージだと思って聴いています。

1楽章、冒頭から歌うように語りかける。
すでに死を受け入れてはいるけれど、
それでも、時折みせる無念さ、やるせなさ。

牛田くんの演奏は、過度な抑揚もなく、
淡々と綴っていきます。

それが逆に、物悲しく聞こえます。

弾き始める前の長い間や、演奏中の表情からも、この曲への入魂ぶりが伺えます。

シューベルトの自分語りの代弁者のような演奏でした。

3楽章がなぜスケルツォなのか不思議に思うのですが、

これも、遺される人達への配慮のような気がします。

皆を悲しませないように、あえて明るく振舞っているようで。

そして、クライマックスでも、明るくさよならを告げる。

もうね、辛すぎるんですよ。

聴いてる私でさえ辛いのに、この曲を2日間続けて弾いてる牛田くんの精神状態はいかほどかと思います。

カーテンコールで笑顔を見せてくれるのが申し訳ないほどです。

アンコールは、

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第4番 変ヘ長調K.282 第1楽章

シューマン:ピアノ・ソナタ 第1番 嬰ヘ短調  op.11 第2楽章



アンコールの時は、肩の力が抜けてリラックスできているようで良かったです。



ファン友さんから、インタビュー記事を紹介してもらったのですが、その一文にまたもや感銘を受けました。


今後は集中して勉強できる環境に身を置いて

自分の演奏の質を高めるための最大限の時間に固執し

音楽に対する情熱をどんなことがあっても失うことなく精進していきたいと考えています


立派すぎます牛田くんえーん

その思いを受け取るために、暑いだの寒いだの言わずに、できるだけ聴きに行きますね(深く反省中)