18歳、私が希望になる。

18歳、私が希望になる。

滑膜肉腫患者です。
現在放射線の後遺症で2年後に右腕の機能停止を避けるべく
経過観察、理学療法、リハビリ中です。
腕神経巣にできた人は世界で私いれて3人
100%動かないと言われてもこれから4人目が出てしまった時に希望となれるよう頑張ります。

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千葉から戻り、年末
おばあちゃんの家でのんびりと
 
幸せ
 
 
纏めていこうと思います
 
 
2012年
 
 
高校2年生のラスト
修学旅行も控えクラスもまとまり
一番たのしい時期だったな
 
 
 
大好きな友達と楽しい時期をすごせて
本当に幸せな時期でした滑膜肉腫と闘うJK3-secret.gif
 
 
 
修学旅行は北海道にスキー観光
前夜祭をしたくらい楽しみにしてた(笑)
 
 
初めてのスキーは怖かったけど楽しい
リフトでストックをまげたり
リフトでストックを落としたり(笑)
 
 
 
そんなこともあったけど
皆で楽しく滑れた滑膜肉腫と闘うJK3-EntryImage-80.gif
 
 
 
雪に埋まったり埋めたり飛び込んだり
肉眼でみえる雪の結晶は綺麗でした
 
 
 
その修学旅行終わって腕に違和感が
2月後半、腕が少しいたいと思い始め
 
 
整形外科に学校帰りに行き始め
MRIやエコーとるものの異常なし
(腕をとっていたため)
 
 
別の病気と判断され
薬で様子みるものの、悪化
 
 
 
3月クラス替え、受験生手前
最後の高校2年生を楽しむために
色んなことをやりました。
 
たくさん遊びました
 
腕の痛さも放っていました
きっとそのうち消えるだろうと
 
 
 
クラスも変わり、受験生となった3月後半
 
 
三年生も楽しい仲のいいメンバーが
受験生大丈夫だろうかというくらい
毎日学校がたのしかった
 
 
 
この頃から指に伸縮障害が
朝学校いく前にゴムで髪を結ぼうとしたら
ゴムを指で広げることができなかった
 
 
ビックリして親に話すと 
また自分で病院いけと言われた
 
 
 
前々から腕が痛いとは話していたけど
 
 
『そのうち治る』
『携帯のしすぎやろ』
 
 
と、一切話を聞いてくれなかった
こんな感じなので元々親に何か相談したことはなく
形だけの家族と感じてました
 
 
 
そんなわけで学校帰りに近くの整形外科へ通ってました
 
 
 
通い続けても悪化しかせず
とうとう他の病院にいってくれといわれ
 
 
学校帰りに寄れるところを探し
他のところへ行きました
 
 
病院は夕方には受付終わっちゃうので
どうしても近場を選ぶしかなく
今思えばちゃんと評判の良いところへ行くべきだったとおもいます
 
 
しかし私はそのころ文化祭が…
部活も途中で辞めていたので、色々やることに
本当に忙しかった。
 
 
 
徹夜で作業や学校にPC持ち込んで
休憩時間までやってました(笑)
 
 
勿論一人でやってたわけではないです
同じように頑張ってくれた友達と
 
 
部活も終盤で忙しいのに
できることを手伝ってくれた友達
 
 
作業中差し入れくれた友達
 
 
準備も終盤
眠いきつい、腕超痛い!!!
 
 
忙し過ぎて病院も行けてませんでした
というか、行っても先生が
 
『なんでやろうね~うーん』
 
 
と、しか言わなくて特に治療もなかったので
(電気治療はしましたが効果はなし)
 
 
もう行かなくていいかなと思ってました
 
 
そして腕が凄い痛みを発揮し始め
猫背でうずくまる時もしばしば
でもここまできて降りられないので
 
必死に頑張りました
 
 
荷物は友達に基本もらってました
助かってたよー
 
 
そして文化祭、無事終了
 
たのしかった滑膜肉腫と闘うJK3-EntryImage-44.gif
 
 
頑張って良かったと思い
同時に腕が滅茶苦茶心配に……
 
 
その後も親に痛いと言うと
母親には流され、携帯のせいにし嘲笑され
父親には仕舞にはうるさいと…
 
 
本気で親が嫌いに
 
 
そしてある日、とうとう激痛で眠れず
翌日学校に行っても体がしんどくて
保健室へ。
 
なんで寝れなかったのかを話すと
今すぐに病院へ行けといわれ
 
 
 
『いま、……ですか?』
 
 
学校はいいからと
お勧めの整形外科を紹介され行くことに
 
 
そこでのエコーで影を見つけてもらい
MRIで腕神経巣に8センチくらいの腫瘍発見
 
 
正直なにがなんだか…
 
 
でもここで見つけてもらえなかったらと考えるとゾッとします。
 
 
本当にいい先生で現在ここの整形外科で
理学療法、リハビリを行ってます
 
 
 
 
 
長くなってしまったのでこれで一区切り。