from an island in north latitude 5 degrees.

from an island in north latitude 5 degrees.

渡馬直後の変な正義感も2年を過ぎると何処かに消え失せ、島のお作法にも次第に慣れてきた。日本人の感覚は失わず、当地の人達と交流しながら、この島を何か違った切り口で紹介出来たら嬉しい。


Amebaでブログを始めよう!
帰国して既に2週間が経過した。


ラファエルも我々と一緒に日本へ連れて帰った。


先日、49日も過ぎたので、朝日の良く当たる庭に埋めてやった。隣に彼が恋心を抱いていたウランの遺骨も一緒に埋めることにした。彼らの上にはガーベラの苗を植えて、年中花が咲いているようにした。


アクセス数も少ないブログではあるが、削除せずにこのままネット上に残すことにした。


このブログを継続して訪問して下さった読者には、最後にお礼を申し上げたい。


故郷からも何かしら発信を続けたいと思う。


では、お元気で!


ら~パパ
先週日本へ帰国したが、やっぱり日本は素敵だ。


寒いという殆ど忘れ掛けた贅沢な感覚を、久しぶりに堪能している。九州でも朝夕は気温が18℃位になるので肌寒い。


荷物は私のミスもあって、あと数日は届かないので、トランクに詰めて来た衣類で寒さを凌いでいる。


早速、長年通っている眼科に検診へ行ってみたが、ペナンのドクターが診立て程クリティカルではなさそうだ。ここ数日は視力も出ていて本や新聞が読める。


両親の処へも帰国の挨拶へ行ったが、思ったより元気にしていた。今年88歳になる父は、月2回ずつ山水画と書道のボランティアへ出掛け、小さな教室で指導みたいなことをやっている。週に1回は本人がリハビリの訓練にも行ってもいるが、概ね良好なようだ。


ここ数週間、大した運動もせずに食べてばかりいたので、体重が目標より5kgもオーバーする異常事態に直面している。どうも日本へ帰ってからは、身近に美味しいものがあるので、自制心を保つのが難しい。





家の近くには、川が流れていて海も近い。




週末の朝もジョギングする人間は意外なほど少ない。日本は日の出と共に暑くなる訳ではないから、6時台の早朝から走りだす必要もないのだろう。



家の周りを少し走ってみたが、日本の道路は凹凸や段差が少なくて走りやすい。


また、家が弓張岳という標高364mの麓にあるので、日曜日の朝は展望台まで走って登ってみた。



この日は朝から天気が悪く視界が悪かった。ペナンのようなスモッグではなく、この時期特有の花曇りといったところか。


離馬二日前から突然DiGiによる通信が出来なくなった。


電話は掛けられないし、掛っても来ない。SMSも送受信出来なくなった。有効期限は離馬当日まで有効にしておいたし、金額もRM20程度は残っていた。原因不明!! DiGiに問い合わせる暇もなく、車もない状態では万事休す。


ワイフの携帯とFacebook、Eメール、WhatsAppを使って最後の二日間を知人・友人と連絡を取る羽目になってしまった。 数人の方には失礼をしてしまったかもしれない。



実はこのDiGiトラブルが、引っ越しに重大な影響を施してしまった。


引っ越し荷物は今回、クロネコヤマトに依頼した。一昨年本帰国した知人が良かったと高く評価してたので、見積もりに来てもらった。最大で13箱とのことで、船便ならRM4700、航空便ならRM4300、実際に荷造りしたら、RM3600位になるんじゃないかと担当のSさんは見積もった。


まぁ、航空便が船便より安いという戦略的見積もりに、まんまと乗せられてお願いすることにした。しかもこの見積もり価格は、荷造りもヤマトのスタッフがやるパッケージになっていた。自分でやっても構わないが、幾分安くなる程度だという、これまた上手い戦術だ。


知人もヤマトで20箱RM4000だったと聞いていたので、そんなものかと考えた。丁度4月は駐在者の引っ越しと重なって、幾分高めの設定になっているようだ。細かいことを言えば、東京と九州でもRM400位の差があるそうだ。


日系の運送会社N社にも、相見積もりを取る予定であったが、大抵ヤマトの方が安いというSさんの言葉を信じることにした。多分、その通りだったと思う。


梱包作業当日、Sさんは日本人、電話で早めに来ても良いかと連絡し、1時間前に来て書類の確認や事前説明を行った。


しかし、梱包作業の担当者3人(ローカル従業員)が時間になってもやって来ない。私達はマレーシア時間に慣れているので、いつものことだと思っていたが、Sさんは現地社員の教育もやっているので、「普段はこんなことないんだけど」と言いつつイライラ・・・・。作業スタッフと何度も電話連絡したり、迎えに行ったりと大変だ。


しかも、金曜日の午後で、お祈りの時間だったし・・・・・。


30分遅れで作業スタッフ到着。 どんな言い訳するのか楽しみにしてたら、マレー系はいなかったが、イスラム教徒が一人いて案の定お祈りに行ってたとか・・・・・。


しかし、当地では仕事の内容によっては、お祈りの時間が来ても、作業優先で仕事に従事させることも出来るそうだ。


Sさんが遅れてすみませんとスタッフに謝るように言うと、「ゴメンナサイ!」と素直に謝るところが初々しい。


13箱を運ぶのに3tトラックで来て、私の住むゲート内には2.5tトラックまでしか入れないというハプニングもあったが、作業は小一時間で終了。


最後に、計量したら9箱121Kg であった。気になるお値段はRM3400、更にRM100値引きしてくれ、最終RM3300となった。


支払いは小切手、暫く使ってなかったが、Maybankの小切手帳で支払った。


帰国した翌日、Sさんから国際電話が掛って来た。
支払った小切手に書いたHundredというスペルが間違っていたたため、銀行で落ちないとのことであった。


uと書くべきところをaと書いてしまった! 情けない!



現地の銀行に振り込んでくれないかとの依頼で、マレーシアに口座をまだ残しておいたので、ネットバンキングで振り込みしようとしたが、TACリクエストが必要。DiGiとは数日前から送受信出来ない状態。


困った!


ヤマトの日本本社に、為替レートは先方一任で、振り込み出ないか相談して承諾してもらった。その頃になって、突然DiGiからのSMSを携帯が受信し始めた。


試しにネットバンキングで振り込みをやってみたら、TACリクエストも上手くいき、送金は完了した。


全く私の不手際でいろんな方に迷惑を掛けてしまった。反省を込めて、この記事をアップして自らの戒めとしたい。




2週間近く更新してないが、まだマレーシアで引越し準備に追われている。


先週から連日の送別会で、飲み過ぎなら楽しいのだが、アルコール・フリーなので食べ過ぎて、久しぶりに胃腸薬の世話になった。一昨日のE&Oでのfarewell lunchこそ、お腹一杯食べたかったのに、挨拶やら相変わらずのフォトジェニックな仲間達との写真撮影で、美味しいランチ食べ損ねてしまった!


引越し作業の中でマレーシアらしい洗礼を受けて、ブログネタには困らない。帰国のカウントダウンはとうに始まって、お尻に火がついた状況なのに、引越し作業は捗らない。そんな訳でブログ更新は、ままならない、ということだ。


アストロは毎月13日が契約更新とかで、先週からテレビも見れなくなった。TMにはネット接続を切られてしまうし、何とか繋ぎ直して貰ったけど、デポジットで数か月分の料金を精算してもらおうとしたら、駄目だと拒否された。


インターネットは帰国前日まで使いたい。ターミネーションの三日前にTMオフィスに来て手続きするようにと、面倒臭いことを押し付けられた。最後の支払い額は、デポジットから差し引いてくれることになった。




車も売却した。


私の車は購入から5年が経過して、そろそろ故障が来る頃かなぁと思っている。ローカルの友人・知人に売却することも考えたが、故障の度に「○○○から買って損をしたなぁ」とか言われたくなかった。


Jalan掲示板やカーディラーに直接持って行って、自分で売却することも出来たが、入金と車の引渡しがデリケートだなぁと考え、MM2Hのビザを依頼したサポートセンターに、車の売却の仲介をしてもらうことにした。


結果は依頼して正解だったと思う。


①JPJでの車の所有者本人の確認手続き
②売却前のインスペクション
③車の引渡し
③売却後の所有者名義変更など、

全てやって貰った。


①については、今年4月から本人の指紋による確認となり、例えば帰国後に車の売却が決まった場合、本人が不在だと所有権の変更手続きが出来ないことになる。私の場合、3月中にJPJに出向き、パスポートで所有者本人の確認書類を発行してもらった。


②の制度については知らなかったが、売却前に買い手負担でインスペクションを行う。理由は盗難車でないか、エンジン番号を確認したり、イリーガルな窓の黒いシールを貼っていないかなどを、公的機関に委ねて証明証を発行してもらうらしい。私は立会いに行かなかった。盗難車でないか調べるところがマレーシアらしい。


③車の引渡しは、サポートセンター立会いで、買い手にバンクチェック(銀行小切手)を用意してもらい、その場で車検証と一緒に車を引き渡した。 サポートセンターが用意した、日時・場所・時間などを記載した確認書に、売り手と買い手が署名して終了。

バンクチェックは口座のある銀行へ持参し、アクティブになるまでに3営業日必要だったが、木曜日に入金して、土曜日に引出し可となった。


④はJPJで行うが、今回は結局買い手が手続きを行ったようだ。


車は購入時の約40%で売れた。
5年以上経過しているので、こんなもんだろう。


売却前に既に私の車には、買い手がついているとカーディラーから聞いた。やはり日本人オーナーの車はローカルに人気があるようだ。日本人なら丁寧に乗って走行距離も少なく、メンテナンスも定期的に行っていると考えられているのだろうか。私は、あちこちぶつけているし、事故ってもいるし、メンテも定期的にやってはいなかった。


こんな風に書いていると車の売却は、順調に進んだように思われるかもしれない。そうは問屋が卸さなかった!


カーディラーは、TG Bunga方面から行くとグリーンレーンのロータリー(ランナバウト)手前、左手に何軒か軒を並べていた。


前日に車はワックス掛けして、ピカピカに磨き上げておいた。当日は天気も良く直射日光が当たる場所に車を停めて、査定を受けた。モデルを確認して、概観を一目見て値段が提示された。


意外に簡単!


2軒目は、ボンネットやトランクを開け、エンジンも掛けて確認して、1軒目よりRM500高い値段を提示した。


3軒目は、電話連絡だけで車を見ることもなく、更にRM500上乗せした金額を提示して来た。


この辺は、サポートの仲介者の作戦勝ち。

1軒目の値段をベースにして、値段を吊り上げて行ったのだろう。RM500刻みというのが、当地の商習慣なんだろう。なんだか笑ってしまいそうだ。


どのカーディラーにも、前のカーデイラーの査定価格を知らせずに、一発査定をさせていたら、査定価格がバラついて、サポートする仲介者は何軒もカーディラーを回らねばならぬ。


この日、3軒のカーディラーによる車の査定に要した時間は、正味30分程度とあっけないものだった。


しかし、3軒目の対応が早かった。2時間後には私の口座にデポジットとして売却価格の10%を振り込んで来た。何だか出来過ぎ・・・・・。


これが仲介者を含めた3軒のチームプレーであったら、見事な連携であった。


ここ2週間ほど目の調子が悪い。


多分視力で0.5位じゃないかな、生活に然程支障はない。車の運転だって出来るが、新聞や本が読めない。スーパーに行っても、レジの金額が見えない。自分のヒヤリングを試すには絶好の機会だけど、こんな調子で海外生活は無理だなぁと、帰国の意思を益々強くしている。




さて、当地のインターの人気が近年高まっているようだ。当地のブログでインターでの子弟教育に関する記事も目立つ。また、近所の中華系の小学校にも日本や韓国の子供が通っているとも聞くが、ちょっと待ってくれよという気になってくる。


我家は既に子供達は巣立って、教育には殆ど関心がないのだが、我家の失敗例を語ることで、子女教育の参考にして頂きたいと思い、今日はこんな記事をアップしてみた。




我家の長女は、日本の教育を受けたことがない。その間の事情を話せば長くなるので端折るが、結論から言って、本人にとって本当に望むものであったのかと考え込んでしまう。


娘は子供の頃から動物が好きで、米国の共通試験SATを受け、オハイオの私立大学に入学、卒業後2年間のインターンシップを経て、ミシガンの州立大学で2年間の修士課程を終え、昨年八月からニューメキシコ州のNGOに就職した。


この間、日系企業からの就職のオファーもあったらしいが、自分の好きなことをしたいとの希望で、現在の就を見つけた。しかし、給料は安い。元々ファッションとかに興味を示す娘ではなかったが、それでも生活はひとりで暮らすのがやっと。現在は中古車を何とか購入出来たようだが、大学院の頃は、冬の厳しいミシガン湖の北で、自転車通学していた。


ミシガン州にはボーイフレンドもいるし、現在の職場近くには大学時代の仲の良かったクラスメートもいるので、楽しくやっているようだが、果たしてこんな暮らしを本人は望んでいたのかと私は懐疑的に思う。


この程度の生活なら、態々米国で暮らす必要もなく、日本で幾らでも動物と関わりのある職なんて見つかりそうだ。長女の教育には米国の家、1軒分位の費用が掛かった。 教育に投資対効果の概念を持ち込むのはどうかと思うが、企業なら採算の合わないプロジェクトだったと思う。


自分の好きな道に進んで本人は満足でしょうと、他人は言うかもしれないが、私の親戚関係はあからさまに私の教育の失敗と言う。多分、それが正解だろう。


英語が出来たからって、将来有望な職に就けるとは限らない。寧ろハンディキャップの方が大きいかもしれない。日本の会社は、英語力で採用するのではなく、専門分野の能力で採否を決める。英語はあくまでも手段、2次的な能力でしかない。勿論、就職試験は学力だけではないが・・・・。


海外で英語力を向上させ、帰国子女枠で日本の有名私立大学に入学する方法も選択肢のひとつにはある。しかし、米国や英国の現地校に通ったり、ニューヨーク、シンガポール、英国にある日本の私立大学の付属高校から、戻ってくる学生達の英語力は並大抵ではない。とても、当地のインターに通ったくらいでは、到底敵わない。(これは、我家の長男の経験からそう思っている)


とは言え、当地のインターに通えば、英語力は日本の同学年に比べると数段向上していることは確かだ。しかし、その分数学、理科、国語といった科目は遅れいるだろう。海外にいて得るものも多いが、失うものも多いと心得ておくべきだ。


日本語を忘れ、英語で考え、英語で聞き、英語で理解し、英語で話し、英語で読み、英語で書く癖をつけろ!これは英語を上達させる極意らしいが、日本語を忘れというのが印象的だ。




日本の受験競争を味合わせたくないという親心も判らぬでもないが、その経験もまた将来人生の糧になると私は思っている。日本の社会が求めているのは、こうした競争を勝ち抜いてきた強者だ。


グローバル化した今の時代、他国と競争し活躍するには、睡眠時間を減らしても勝ち抜く受験戦争の体験も必要だと考える。シンガポールや韓国は徴兵制で体力や精神面も強化している。


確かに欧米の教育を受けて、クリエイティブな仕事が出来る能力を身に着けるのも、ひとつの方法だと思うが、果たして当地のインターで同じことが可能だろうか。


当地のイギリス系、アメリカ系と言われるインターに通うのは、大半がローカルの子供達、欧米の子供達も一部通ってはいるが少数だ。それに韓国の子供達も通って来る。


しかも、授業の大半はローカルの教師だとしたら、ちょっと頭を傾げたくもなる。しかも学ぶ歴史はインター創立のイギリスかアメリカの歴史だたら、子供達のアイデンティティはどうなるのだろう。


こんなことを考えると当地のインターに入学させ、どんな将来像を我が子に描くのか。日本の学校に通学させるより、遥かに深く考えておかねばならないと思われる。


海外生活が長いと中途半端な日本人になることがあるとも聞く。我家の長女はある意味日本人としてのアイデンティティを捨てている。これも親として悲しいことだ。


海外の学校を卒業して、海外で生活するとはそんなことだ。


人生での早い時点での異文化交流は、日本で生活する同世代のクラスメートに比べたら、苦労もする代わりに貴重な体験だと思う。


将来の糧になる資質の育成には大いに役立つが、将来を保障するものではない。私の経験から、子供の進路に関して、親は大いに口を出すべきで、将来を見据えたアドバイスを適切にすべきだと考えている。