「障害者っていらなくないですか」
あの事件があってから特に、この質問や意見を、時々見かける。
驚くのは、いるとかいらないとか、そんな次元で疑問視されていること。
そして、いらないと思っている人たちに感じられる、選民思想。
この話はできるだけ落ち着いて過激にならないように書きたいけれど、難しいかもしれない。
そして考え考え書いていたら感情的な気持ちになったりもして、余計に話がとっちらかってしまった。
我ながらこの文章のどこに重きを置いていて、何が言いたいのかわからないけれど、自分なりに思うことをまとめたつもり。
いる、とか、いらない、ではなく、もうこの世にある存在なのだから、そんな議論は本当に無意味だと思うんだけども。
では質問者様のお子さんが、もしくは質問者様に障害があったら〜云々
という反論、ないし疑問は正直ナンセンスだと思う。
ifの話にしても、障害者というものへの理解が、障害者というものの正体が、わからない人にもしももへったくれもない。
これは例えば同性愛への偏見にしたってそうで、その人には想像のつかないもの、理解のできないものだから、恐怖があり、偏見があり、差別があり、迫害があるんだと思う。
じゃあ仕方ないのかというとそういうわけではないけれど、否めない部分もかなりある。
いらない、と思っている人たちは
今実際にいる障害者がいなくなってほしいのだろうか。
どう気持ちに、日常に折り合いをつけているのだろう。
現実的にどうすれば、障害者がいなくなると思うのだろう。
現実的に、なので、殺すなどというのはもちろん非現実的な話になる。
関わらないようにする、と答えているのを多く見かけたけれど、関わらないようにしているといっても
広い意味で関わらないことはできない。
もしかしたら、今日あなたが電車で席を譲った美人なお姉さん障害者かもしれない。
もしかしたら、あなたが知らないだけで、あなたの友達の中に障害者がいるかもしれない。
知らないだけで。
知らない。
この可能性は、絶対に省けない。
こうやって考えてると、障害者はいらないと言っている人たちにとっての障害者という定義もよくわからなくなってくるね。僕だけかな。
さてどうやったら現実的に障害のある人をなくすことができるだろう?
例えば母親のお腹の中にいるときに、検査をしてある程度は産む前にわかる、だからそれを義務付け、発覚すれば堕胎させる?
それは現実的なのだろうか。
自分には障害がないと思って生きている人たちの中にも障害がある人は、一定数いるだろうと思う。
診断が下りてないだけの人など、本当にたくさんいるだろう。
その人たちはどうするのかな。診断がなければ障害者ではないのか。
全く本当に健常な人が、病気で、事故で、障害者になったらそれはどうするのだろう。
個人的に障害者をこの世から無くすのは無理と言っていいと思う。
なので、いるとかいらないとか、そんなことは話にもならないだろうと思った次第。
僕個人の話だと
僕は精神障害と発達障害があるし、同性愛者でもある。
それでも自分個人として、精神や知的障害者を恐れる気持ちははっきりとある。
自分の存在を役立たずだと、社会のお荷物だと、親不孝だと、思うことなどしょっちゅうある。
死にたくなったことも、死のうとしたことも数え切れない。
こんなのがうまれてしまったことを、親に泣いて謝ったことも、何度もあった。
自分に限って言えば、可能なら産まれる前に死にたかった。僕は僕がいらない。
お互い様だとか、互助なんて、美しいけれどそんな余裕が今の日本に、市民にたぶんにあるとは思えないし
結局自分の存在が方々に負担をかけている事実はあるのだろうと思う。
申し訳なくないのか?と聞かれれば申し訳なく思っている。心底。
申し訳ないなら首を括れよと思う人たちもおそらくたくさんいるのだろう。
でも今首を括ると、いちばん親に申し訳ない。
こんな僕にも幸せになって欲しいと、時間もお金も労力も、自分たちの持てるあらゆるものをそそいできたであろう自分の親に、僕はそんな仕打ちができない。
それは、他の見知らぬ人たちにまで負担をかけてるとわかっていても、選べない。
僕にできるのは、だからちゃんと働いて、自分のケツは自分で拭くことができる自分であること。
人にできるだけ迷惑をかけず、障害があってもそれなりに健やかであり、幸せになること。
でもきっと、誰だってそうなんじゃないのかなあと思うんだ
別に僕は特別なことを言ってないと思う。
別にきれいごとを並べたいわけではない。どんな命も平等だとか、そんなことは思ってない。
ただ、どんな人にも権利はあると思っているし、老若男女、健常であろうと障害があろうと、お互い様だと思っている。
障害者はいらないという人の意見を言下に否定するつもりはない。
その考えは危険すぎると思うから、同意できないけれど。
