子供の頃、田舎に遊びに行ったときにたまに会う遠い親戚の同世代の男の子がいました。



子供の頃の彼はとても頭のよいしっかりした活発な男の子でしたが、

多感な時期に彼自身には全く責任のない家庭の事情に振り回され、

高校生くらいの頃から様子が変わり、高校卒業後は数年に亘って今でいう「ニート」のような生活になって

しまいました。



彼の消息を聞いたとき「いい年していつまでも親のすねをかじってフラフラしているのってどうよ」という気持ちはありましたが、「あの環境ではやけになってしまう気持ちもわからんでもない」ことも事実。


「いい加減にしろ」と思う一方「気の毒だな~」とも思っていました。(本人には言いませんが)



たまたま他の親戚(私や彼よりは少し年下)と話していて彼の話題になったとき、その人は

「気の毒だとは思う。だけど、自分の人生に責任とれるのは自分だけなんだから、いつまでも親のせいにして逃げてても始まらない。もういい加減自己責任。」とピシャリと言ってのけました。



本来の彼はそれがわからないほど馬鹿ではないことをよく知っているうえに、

幼い頃は「お兄ちゃん」と思っていた人が変わり果ててしまったことに対する思いは、

同世代の私の彼に対する思いとは違ったものがあったのでしょう。



「人のせいにして逃げていても何も始まらない。」

確かにその通り。年下ながら恐ろしい奴です。



人のせいにして、愚痴を言って、誰かに聞いてもらってすっきりすることは悪いことではないけど、

それだけでは何も生まれない。

肝心なのは、そこから自分が何を学び、どう生かしていくのか。



私が同じことを言われないよう、建設的に生きなくてはいけないと思った出来事でした。

「敬語」って難しいとよく言われます。

本当にそうでしょうか?


私は、敬語を使う本来の理由を考えれば、それほど難しいことではないと思っています。


私が考える敬語を使う理由は「私はあなたに敬意を払っています」ということを伝えることです。

その気持ちが伝わるのならば、ちょっとした言葉の間違いは大した問題ではないと思います。

(程度問題だけど)

むしろ、言葉が正しくても敬意がなければただの慇懃無礼です。


もちろん「絶対的に正しい敬語」を使わないといけない立場や場面はありますが、

うまく敬語が使えないためにコミュニケーションが阻害されるのは本末転倒。


今からもう20年近く前になるでしょうか。

こんな風に考える契機になった非常に印象的なできごとがありました。


私の母は一応「先生」とよばれる、人に物を教える仕事をしていました。

ある年、高校生の教え子から母宛の年賀状にこんな一文が。


「あけましておめでとうございます。 日頃のご愛顧に感謝します。」

詳細はさすがに忘れましたが、「日頃のご愛顧に感謝」のフレーズがあったのは間違いありません。


いやー、教え子さんには申し訳ありませんが、正月早々家族全員で大爆笑させていただきました。


でも、「先生」に年賀状を出すに当たり、精一杯考えた結果だったのでしょう。

大爆笑はしましたが、教え子さんの母に対する敬意はこの上なく伝わって来て、

非常に好感が持てました。


それ以降、我が家では何かというと「日頃のご愛顧に感謝し」と言うのが流行りました。

私が見た中で最高の年賀状です。

不安定なお天気が続いていますね。

こういう気候は生き物の健康を損なうのでしょうか。


友人の愛犬が今朝急に天国に行ってしまいました。

10歳を過ぎているのでシニアではあるものの、ずっと元気だったのに、突然の心臓発作だったそうです。

彼女のみならず、ご両親やご高齢のおばあちゃまのよき家族として愛されてきた愛犬ちゃんを突然失って、きっとショックだと思います。

心よりご冥福をお祈りします。


私の実家でも長年犬を飼っていました。

しかも、諸事情で3匹も。


ある年の1月に最年長の子が天国に行き、その翌年の1月にその次の子が天国へ。

最後に残った子はそのまた翌年の秋に天国に行きました。


最初の子と次の子を見送ったときは、「まだまだもう一人の子に頑張ってもらわないと」という気持ちで

それなりに寂しさはまぎれたのですが、最後の子を見送ったときは、心の中にぽっかり穴が空いたような体験でした。


ペット火葬場で別れを惜しんでいたら、係のおじさんが優しく言葉をかけてくれました。


「自然に過ごしていれば、いつかまた「この子だ」と思う子に出会える日が来ますよ。」


ちょうどその後に家を建て替えることになり、新しい家になったのを期に運命の出会いを果たした子を新しい家族に迎え、今ではその子は母に溺愛されて、実に幸せな犬生を送っています。(娘より遥かにかわいいらしい)


すぐにそんな気持ちになれないことは私もよくわかりますが、いつの日にか彼女とご家族に新しい出会いがあることを願ってやみません。

今日観てきた舞台のセリフ。


「前に進むっていうのは、どっちが前でどっちが後ろか分かってる奴じゃないとできないんだよ!」


そうだよね。本当にそうだ。


ときには足をとめて、どっちが前でどっちが後ろなのか考え直してみないといけませんね。



あの日から1年。

1年前の今日、私はちょうど今頃自宅にたどり着き、この地震が未曾有の大災害であることを知りました。


日本人の優しさや醜さ、色々なものが見えた1年でした。


「兄妹というものはそういうものではないのか。お互いが達者でしあわせなときは遠くにいてもよい。

いざというときに助けあうことを忘れなければな」(永井路子 「王者の妻」)


実家に住んでいた頃は親兄弟とは毎日会うのが当たり前でした。

学校に行っている頃は仲のよい友達とは毎日のように会うのが当たり前でした。


でも、大人になって生活が変わると、大切に思ってはいてもなかなか会えない人が増えてきます。

それは仕方のないことです。

決して、「会えない」=「気にしていない」ということではないはず。


大切な人の「いざというとき」はあまり多くないほうがいいとは思いますが、そういうときには何かできる自分でありたい。


そう思う今日この頃です。