ありのままのあなたで生きる~マヤ暦からのメッセージとともに~

ありのままのあなたで生きる~マヤ暦からのメッセージとともに~

泣くこと、笑うこと。歌うこと。呼吸すること。歩くこと。

マヤ暦はバースデーサイエンスの一つです。
あなたは今回の人生を選んで生まれてきました。
もちろん運命は自分でデザインしていくものだから。
あなたが本来のあなたで輝けるよう、
マヤ暦からのメッセージがあなたの心と共鳴していくことでしょう。

Amebaでブログを始めよう!
そもそものきっかけは、
「時間って一体なんだろう」っていう内容でブログを書いていたの。
けれども、書き終わったところで全部消えてしまってね。

「あー、、、」とショックな気持ちと、
「また書かなきゃいけないの」というイラっとした気持ちが混ざっていたんだけど、これって消えた意味があるんだろうなって。

その時、気づいたのが、
書いた内容が「わたし領域」だからだ。ということだった。

なんかもっともらしく書いてみて、そこに「伝えたい」という魂も入っておらず、「書かなきゃ」という役割に沿って書いたようなものだったんだよね。

「わたし領域」というのは、わたしという枠を作って、その枠内だけで頑張っている状態。
すごく端的に言えば、自分のことしか考えずに生きているということだ。

ここで誤解がないように言っておきたいんだけど、

「わたし領域」と「みんな領域(他のために生きている)」

これは、すごく混同されやすい。

「みんな領域」で生きているかのように、周りによく思われたいといい顔をしていたり、
自分を犠牲にして他の人のことばかり考えてたら、それは「わたし領域」なんだよね。

「よく思われなきゃいけない」ってこと自体が自分も相手も信頼していないと言えて。
相手を信頼していないから、枠を作る。
良く見せておこうと、わたしの領域をつくる。

逆に、
自分の好きなことを思いっきりやっている人は、自分のことだけに関わらず、「わたし領域」を超えている場合が多いと思う。
自分のことをやっていても、それが誰かの心に影響を与えているなら「みんな領域」なのだ。

その時に、
今のわたしは「わたし領域」を超えて生きているのだろうか?

という怒りのような問いかけが起きた。

わたしは何かに影響を与えて生きているんだろうか、と。

ブログはしばらく書いていなかった。

1月に自分の心情や状況を書いてから、人の目を気にしてしまっていたんだ。
こんなこと書いて幼稚だな、と自分をジャッジしていた。

人の目を気にするというのは最たる「わたし領域」だと思う。

もちろん、人に不快を与えない、刺激を与えないというのはマナーだと思っている。

そういうことではなくて、
人からどう思われるかを気にするってことは、相手が悪く言うかもしれないと恐れている証拠なんだよね。

そんなの相手を信頼していない。
世界を信頼していない。

わたしは、
そんなことに時間を使うのはもう一切止めよう、とあらためて思った。

例えば、

誰かの言われたことを気に病んだり、

自信がないと言ってみたり、

誰かを批判してみたり、
(批判するのは、自分への責めを相手に転嫁しているだけにすぎない)

自分を良く見せようとすること、

未来を不安に思ったり、現状を不満に感じたり、

そういったこと。


「わたし領域」に時間を使っていると自分を守るばっかりだから、「みんな領域」の時間を作れない。

それは創造することができないということ。

井の中の蛙とはよくいったものだ。

こうやって書いていることがわたし領域0%ですかと言われるとそんなことはない。

だれかを不快にするかもしれない。

文章も脈絡なかったりするけど、

ただエネルギー的に、
今の状態を毎回越えてかいていたい。

今日はその始めの日。

2015年4月4日 KIN1に。
食べていくために派遣と実家の仕事を手伝っていることを、ブログに書くのは抵抗があった。

ちっちゃいプライド。

ちょうど2年前に、わたしは実家の会社を辞めたんだけど、その時にFacebookに一大決心みたいなことを書いたわけ。
それを読んで、それからセラピスト一本で生計を立てているのかと思ってた人もいたみたい。

だから、先日ひさしぶりに会った友達に近況を話したときに「結局、実家の仕事を手伝ってるの?」と言われ、胸にチクッとしたものが刺さった。
他の友達には「なんで独立したのにバイトするの?」と言われたり。

でも、それらの言葉って言っている本人は悪意も何にもなくて、ただそう思ったから言っただけで。
わたしが解釈を加えちゃっているんだよね。
「この人はわたしのことをきっとダメなヤツだと思っているんだ。」ってね。

被害妄想もいいとこ。

ある時・・・それは秋葉原駅を歩いていた時に、突然、小島よしおが頭の中に出てきて「そんなの関係ねぇ」をやりだした。
その時に「そっか!そんなの関係ないんだ!」と妙に腑に落ちたんだ。

人の目は私の人生とは全く関係がないことに。

それは、わたしが人の目をどれだけ気にしていたかということを認めたところから気づくことができたのだけれども。

どういうことかというと、
人の目をすっごい気にしているくせに、
「わたしは人にどう思われようが関係ないわ」とか言って
『本当は人から好かれないと不安、人から認めれないと不満』と思っている心を「頭の考え」で揉み消そうとしても、心の方が本来強いんだから抵抗を起こすだけなんだよね。

『本当は人から好かれないと不安、人から認めれないと不満』というのは実は幻想だから、認めると意外に消えていっちゃうものなの。

だからこうして、今の自分を隠すことなく書いてみようと思ったんだ。
わたしの心についての探求・学びは、現実の出来事を通してのリアルな人体実験により検証されるものだと思っているし。

前回、短いブログを書いた時にコメントくれた人やFacebookにいいねを押してくれた人がいたことに本当に嬉しいと思った。
受け取ってくれる人のために日々の気づきを深めてゆきたい。

ということで・・・よかったね、小島よしお。
あなたはまだ誰かの心の中に裸のままで生きていたよ。

出会いは不思議なもので。
金曜日になつこさんのリーディングクラスに参加した時に偶然となりになった女性の方がいてね。

そこで参加者一人一人が近況を話す場面があって、
わたしは「実家の会社の状況」について、悩んでいたことを話した。

去年の3月から実家に両親と一緒に住んでいるんだけれども、年明けから両親が体調を崩して、それが象徴するように会社の売り上げも落ちてきて・・・

そうなると、専務である母親の機嫌がものすごく悪くなる。
わたしはそれに助けてあげられていないという「罪悪感」が噴出してきた。

わたしはそもそも、家族経営(ファミリービジネス)に対するネガティブな感情も持っていた。

その理由はいくつかあるんだけど、小さい会社ながらも社長の長女だということでどういう目で見られるのか、みたいなのも一つにある。
ここでも人の目を気にしていたんだなぁ。

大韓航空の「ナッツリターン事件」だって、あれだけ騒がれているのはファミリービジネスだからだよね。
「社長の娘だからって調子に乗るな」的な感情が乗っかっちゃっているでしょ。

でもね、わたしのお隣にいた方は私と同じで親御さんの会社で働いていたのだけれども、
ファミリービジネスに対して、とてもポジティブだったんだよね。

親と仕事をするということは、これ以上の学びの機会はないと。
そうアドバイスをいただいた。

また、そこで「そっか!」と開き直った。

罪悪感を一人で感じて逃げていたけど、向き合っちゃえばいいんだと思ったの。
助けられないと感じているのはただの思い込みにすぎないのだと。

次の日、母親に会社の状況などを聞いて、それに対する打開策のいくつかを提案した。
3時間くらい話したかな。

御歳70を迎える母親は、超やり手なので、さっそく私が提案したことをその日のうちに全部取りかかっていた。
さすが・・・

私が少しでも役に立てたことは本当に喜びだった。
それが売り上げに繋がるかわからないけれども、母親はずいぶん励まされたみたい。

家族経営だからの悩みはあるけれども、
親の仕事をしている姿から直に学ぶことができるのは、現代の社会においては在り難しことかも知れないなぁと。



本来書こうと思っていたことがあったのだけど、家族経営に話が進んでいっちゃった。
自由に書いているとこういうことが起きて、それもまた面白い。

家族経営というトピックも、私だから人に伝えられることの一つなのかも知れない。
そんな気づきがありました。

めりはいま何してるの?ってよく聞かれます。
はい、今は変わらず対面カウンセリング(マヤ暦を使う場合もリピートの方は使わない場合も)やワークショップを開催したりしております。

それで生計成り立ってんの?というツッコミがいつも入るんだけど、いまの所それだけでは食べていってなく、平日は派遣事務の仕事と空いた時間で実家の会社の事務を手伝っている。
なので割とライスワーク(食べるための仕事)に時間を取られている現状ではあります。

意識してないと、やっぱり日常に流されてしまう。
だから今年は大切にしようと思っている発信すること(具体的には、まずブログ)も、他のやらなきゃいけない(と自分で思っている)ことに負けてしまう。

だから、あまりハードルを上げないで「続けてみること」に集中しようと思う。

もちろん、動機も大切。
今は「書きたいから」というシンプルな動機のみ。
ただ書いた先に何かが見えそうだから、という感覚はあるんだ。

現代はこうやってFacebookやブログで発信できるってスゴイことだと思う。
誰でもエッセイストになれちゃうよね。

エッセイも昔はよく読んでたなぁ。
群ようこさんが好きだった。
ちょっとマニアックでしょ。

そういった矢先にクライアントさんでもあり、大切な友人から「速報」が入った。

とある選考に合格して夢に一歩近づいたらしい。

その彼女もずっと続けていたネタがあって、思わぬところでチャンスが繋がったのだ。
とんとん拍子で。

続けていれば、どこかで繋がるんだなぁって教えてもらった気がする。

わたしもがんばりますわ。おめでとさん。
今年一番初めの満月、とっても綺麗。

なにやら「あれもやりたい!これもやりたい!」といった感じで心が落ち着かなかった今日。

新年だから色々今年やりたいことが思い浮かぶのかなぁなんて思っていたけど、満月だったからかもね。

事故や犯罪が多いのは満月のときがダントツだって話は有名だけど。

先日、石垣島に行ったときにグラスボートのガイドさんが「珊瑚は6月の満月に産卵する」って話をしてくれた。
かならず満月なんだって。
不思議だよね。

人間だって満月に出産率が高いという統計があったかと思う。
実際、わたしの姪っ子は予定日より少し早く、中秋の名月の日に産まれた。

逆に死ぬときも満月や新月が多いらしい。

その話を聞いて、西行法師の

「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」という和歌を思い出した。

お釈迦様も旧暦2月15日満月(望月)に亡くなっているのだが、

自分も同じ頃、桜の木の下で死を迎えたいものだという意味で、

実際に和歌の通り、旧暦2月17日頃に桜の下で亡くなっているという逸話がある。

なんと粋な冥土入りだろうか。


話を元に戻すが、人間も自然の一部。

石垣島のような自然豊かな場所にいると本当に身体が喜んでいるのがわかる。

今年はたっぷり自然に触れる機会を作りたいな。



グラスボートから見たシャコ貝。パクパクしてた!
わたしの日記帳。大学ノートやら分厚いノートなど、その数105冊ありました。

小5くらいからだから、何年間分だ・・・?(と言って歳はごまかす・・^^;)


ある意味、黒歴史。。。笑

わたしの日記って、内面を書きなぐっているからね。あはは。

学生時代は、好きな人のことと剣道のことばっか苦笑。

最近は死んでから見られても、それはそれで面白かなぁなんて開き直っていたけど、

過去を振り返らず、今だけに生きようと、

おおみそかに一気に燃やす儀式をいたしました!

・・・のハズだったんだけど、

読んでいたら、まぁ恥ずかしくてしょうがないんだけど、

悩みながらも、一生懸命生きていたその頃の自分にいたわりの言葉をかけてあげたいなと思い、

中身を見ず一気に燃やすより、

その頃の自分をゆるしながら、燃やしていこうと思いました。

だから、延長!節分の2月3日までに燃やすよ。ここで宣言しとこっと。


去年の年末は、2003年以前の手紙やもらった寄せ書きなどを全部捨てました。

(2004年以降の手紙やらいただきものは手元にあります。
ピースボートに乗ったときの船内新聞とかもまだ捨てられてない・・・)

教育実習に行ったときや学習塾の講師をしていた時に、生徒からもらった手紙が特にたくさんあって。

そんな時代もあったなぁと、もはやワタシの人生ではなかったのではないかと思いました。

先生という職業には結局着かなかったけど、それから10年以上たって、マヤ暦を教えてたり、ワークショップなどをやったりちょっと先生っぽいことしているから、不思議だよね。


おおみそかという一日は、とっても特別な雰囲気で、

この一年をやはり思い起こします。

掃除をしていた時に出てきたボブマーリィのCDをいま聴いているので、めちゃレゲエなおおみそかでございます。わんらーぶ♪♪


昨日書いた「死にたいブログ」に笑、

友達がメッセージをくれて嬉しかった。

一緒に生きていこうって。

そうだね、いつだって一人じゃない。

苦しいときって、人に会いたくなくなっちゃって、孤独を感じて、

誰も自分を必要としていないんじゃないかって思っちゃうんだけど、

本当に勘違いなんだよね。


いまとっても幸せなんだよ。

何が幸せって理由があるわけでなく、幸せなんだ。


読んでくれて、ありがとう。

出会ってくれて、ありがとう。

よいお年を。

行くぜ!2015ねんっっ!!!