公正な競争といえるか



 自炊代行が提訴されることになりましたが、私は、提訴に賛成です。

ただし、本当に問題なのは、自炊代行を利用して、ネットオークションに出してしまうという、サイクルを作った人々だと思います。自炊代行業者は、その行為に加担したことになると私は考えます。


 そもそも、知的財産権を侵害する事は、公正な競争を阻害することになり、法整備が遅れているからといって、その法例を無視した現状を肯定する事は、公正な競争を重視していないということになると思います。


 日本が法治国家の体をなしているのであれば、このような業者は消えてゆくのが本来の姿であり、

出版業界の保守性や電子書籍の普及の遅れと結びつけて議論するのは、間違っていると思います。


 もちろん、線から外れたものを全て処罰すべきであるとは思いません。しかし、大量に出回ることは、一つの業界を揺るがす大きな事態であり、それをいたずらに、市場の変化であると位置づけて、壊してしまうことを容認していいとは思えません。





もっと作家等の専門家の層を厚くすべき


  つまらないから、売れないのか、

  売れないから育たないのか

私は日本では多くの業界で同様の議論が出てくると思います。


 つまり、何がしかの専門性だけで勝負しようとするフリーランスというのは現在社会的立場が弱く

相当の忍耐と逆風に耐えて頑張っている人たちだと思います。

作家、通訳、ジャーナリスト、デザイナー等。


雇用体制が専門性を高める仕組みになっていないため、常に専門性を必要とする部門では人手不足になり、人件費の安い方向へ流れがちです。私は、今回の問題の根底にはこの問題があると思います。

ハードは強いがソフトが弱い。


知的財産は、時代を超えて継承されることを求められ、作家や出版業界だけの財産と言うよりは、社会全体の財産であると思います。またソフトの発展の基本となるのが知的財産権であり、それを重視しない事は、それを生み出す人に適正な対価が払われていないことになります。


だから、電子書籍が普及しないことを憂うよりも、優れた作品が育たなくなることを憂うべきです。

電子書籍は便利なのになぜ普及しないのかというのはハードの問題であり、ソフトの議論ではありません。


私は兼ねてから感じていることですが、平成時代に入ってから、本当に目から鱗が落ちる面白い本が少ない、新しい本で面白い本が出ていない、つまり、ソフトの面で優れたものが少なくなったということです。


そのソフト面の質の劣化は、電子書籍が出るようになって益々拍車をかけているように思います。


しかし、この問題を出版業界だけの問題と考えるべきなのでしょうか。

むしろ、市場原理にかたむき過ぎたため、そこそこの作品しか、生き残れなくなったのではないでしょうか。


私は、本などに代表される知的財産は、公共性のある財産と考えるべきで、マーケットの支持する市場原理に傾けすぎるのは、かえって、時代に対応できなくなるのではないかと考えます。


もちろん、市場の競争原理は原則として考えるべきですが。




作家達はなぜ「本を愛して欲しい」といったのか


 本は、保存性に優れています。保存状態が良ければ100年200年以上の保存が可能です。

しかし、自炊業者のやったことは、その保存に優れた本を裁断してしまったのです。すなわち本の最も機能的に優れている点を否定してしまったのです。


 一度裁断されてしまった本は、末はどうなるのでしょうか。誰かが大切に保管するのでしょうか。

紙の本も大切にして、電子化もする、それなら許せる、でも、紙の機能性を完全に放棄してしまうようでは、デジタル推進論者に対して、大きな不信感を抱くことになるでしょう。




自炊事業の問題点

 スキャナーで読込み電子化する代行、顧客からの依頼こたえて、不特定多数の人に受注し、手数料をもらう。

データを貰った顧客は、自分の利用目的のみで使うということを前提にしている。問題は、そのデータは複製可能で、友人に渡したり、ネットオークションで売りにだしたりする人が必ず存在するので、ネックは小さくても倍倍式に、元のデータ著作物は、次第に増えてゆき、安く誰もが手にできるようになるということである。


 自炊代行業者は、販売目的ではないとしているため、合法としているが、少なくともその違法に販売する事に加担する事になっているのではないか。知的財産保護に貢献しているといえないのではないだろうか。知的財産権を蔑ろにするのではなく、顧客のみに代行するということを徹底すべきでは。


原告の心情 

 一方出版業界は氷河期といわれているようで、本もなかなか売れなくて、物書きも苦しんでいるように実感する。作家は常に生みの苦しみを感じており、有名作家にしろ無名作家にしろ、決して安定しているとはいえないが、自分の信念と、使命感で作家を志すものだと思い、儲けるために作家になる人は少ないだろう。


 いわば、私達の文化や伝統、歴史さらにはアイデンティティの形成、成就の一部を担う人々で、単に市場の原理に任せていては、発展していく類のものでなく、守ろうと思わなければ自然消滅してしまうものであると私は思う。


自炊代行の需要の高まり

 とはいうものの、自炊業者の要望も高まっているからこそ、こういう問題も生ずる。そもそもは電子書籍があまり普及していないことに根本的な問題があるようである。


その理由は、私なりに分析すると、

①都市では、公共の交通機関を利用する人が多く、待ち時間が多いのに対し、地方では、PCで代用がきくし、スペースも都市に比べて広いので、タブレット型の絶対的必要性を感じない。

②多くのデータをもって出張するひとや、学者や学生などは便利になったかもしれない、が仕事や学業で常に膨大な書籍の購入の必要に迫られる人は、少数で、多数の人は、その必要を感じないか、買いたくても高くて手に出来ない人も多いように思う。

③バージョンアップによって、すぐに次世代が登場し、古いタイプのものが使えなくなるのが心配だという人は少なくないのではないか。

④欧米に比べ日本語は漢字を併用するため、欧米に比べて、本が薄いことから、電子書籍の転換の必要性は欧米に比べて少ない。

④電子書籍を購入してみようと一度は思うが、ネット上の電子書籍に魅力ある本が見当たらない。



鶏が先か、卵が先かで考えると、電子書籍が普及しないから、自炊代行が広まったというほうが自然だと思う。


知的財産の保護と情報格差の問題が常に対立する歴史があるのかもしれない。


私は、違法性のあること、違法性に加担する深刻な事は避けるべきであり、今回の問題に関しては、原告を支持する。


しかし、そこには、法整備の不十分な点や、時代に合わないものは、改正すべきだと思う。

同時に、作家を代表するソフトの担い手は、作家の自助努力だけでは自然消滅するものだと思う。

それは、作家は公の財産と考えて、適切な保護も必要だと考える。









  兼六園は、金沢の名園ですが、中国からの観光客も少しずつ増えているようです。金沢は、古くは横浜や神戸に比べて、中国人との関わりが少ない町といえるでしょう。


  しかし、兼六園の歴史を紐解いてみると、ある中国人が関わっていたことが分かりました。その名は、王伯子といいます。彼は、中国明時代の儒学者であり、当時加賀藩主二代利長が、儒教の教本である四書が当時日本で出版されていたものに間違いが多いため、その四書の校正をさせるために、呼び寄せたとの事です。彼の住まいは、兼六園でも古い蓮池庭の地にあったそうです。


 また、兼六園は、神仙思想を元に設計されており、これは、中国の神仙思想の影響によるものだとうかがい知ることが出来ます。それも、兼六園の最も大きな池の、霞ヶ池に島が浮んでいます。その島を蓬莱島と呼び、蓬莱とは、現在の中国にもある一地名ですが、もともとは、仙人の住む島だとされています。


 権力者というのは、常に自分の権力を維持したい、永遠の命がほしいと強く願っていたことがわかります。


このことで、もう一つ分かってくることが、江戸時代は戦争や一揆が比較的少なく、時代は安定していたといわれていますが、権力者にとっては、最も恐ろしかったのは、時の将軍ではなく、自然災害だったのではないかと、私は感じます。というのも、江戸時代は、金沢城は立派で当時の最新技術を用いた城であったようですが、そのわりには、戦争を余りしておらず、その代わり、数々の火災に見舞われています。金沢城の本丸は、落雷により、火災が起こり、焼失してしまったということです。歴史年表をざっと見てみるだけでも、六回は金沢城は燃えてしまっています。


 これには、木造建築主流の当時としては、全くどうしようもなかったのでしょう。