大野君のダンス | めきち箱

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お嬢とダンナと3人暮らし

注意!! 素人の、酔っ払いの、完全なる独り言ですので、お気を悪くされたらすみません。

iPhoneから乱文失礼。

まだ見ぬ世界へ…観てるんですが。

大野君。

どうして、なんで、あんなに美しいのか!

身体の動き、全てに無駄がなく、力みも無く…それでいてエッジが効いてて。

ターン始まりも、終わりも、ドンピシャ。

その振りの「拍」の長さをしっかり使ってのターン。使い切る。

ターンの前も、しっかり休止。 とてもとても僅かな時間だけど。

一つ一つの振りをキチンと、 やりきる。 決して流れない。

良く、大野君のダンスは、無駄な動きが無くて綺麗!って聞くけど、ちょっと違う気がする。

無駄な動き、じゃ無くて、それは「休止」という振り。ただの無では無い。休符。 どんなに短い時間であっても、その瞬間に、何か別の動き(振り)をしていては、前後の振りが死んでしまう。

遅くても、早くても、ダメ。

身体のコントロール力はもちろん、細かくビートを刻んでる必要がある。

表に出さずにビートを感じること必要。

音楽と一緒だと思います。

エッジを効かせて、バシッと入るには、その前の休符をキチンと感じてるかが大事。

伸ばしてる時も、しっかりと最後まで。

なあなあにしない。

ジャズも、クラシックもそう。

リズムが、ビートが止まることはありえない。

止まる=無なのではなくて、休符であって、フレーズ、シンコペーションの中のこと。流れは止まらない。

私はクラシックでは、バッハやモーツァルトが好きだけど、そのフレーズの奏で方。

古典派の演奏では、ベートーベンやショパンの様な華やかしさは不要。

どこか、ウチに秘めた、たんたんとした…一つ遠くを見てる様なイメージで、タッチは絶対に叩かない。

でも、しっかり歌ってる。 しかし、ベートーベンやショパンの盛り上がる、煌びやかなフレーズは、鍵盤のタッチも立てて、華やかに。 智は、そんな、曲によって必要な踊り分けが、出来てると思う。

最後に。

どーしても、吐き出したくなっちゃった!

大野君、大好きです。尊敬してます。酔っ払ってます