皆様こんばんは。
MAYUMIの娘です。
6月1日(土)午前10時37分、最愛の母が2年の闘病生活を終え永眠致しました。
もっと早くに書こうと思っていましたが、私自身突然の事で混乱しており遅くなってしまいすみません。
一昨年に胃癌の手術をし1年後に再発。骨に転移。
昨年から絶望する様な事を主治医から沢山言われ続け、それでも前向きに希望を持ち続け頑張ってきた母。
アレルギーのせいで使える抗がん剤も少なく、昨年の夏も危ない状況がありましたが最後の抗がん剤が奇跡的に効き持ち直す事ができました。
それでも主治医からはもって数ヶ月と言われていました。
しかし、家族も絶対に母を死なせたくないという思いで民間療法(温熱治療や丸山ワクチンのなど)を試してきましたが、最後の抗がん剤も効かなくなり、
血小板がどんどん下がって身体中内出血だらけになり、いつ脳内出血してもおかしくないと主治医から言われ続けて毎日不安な気持ちで本人は勿論、家族も過ごしてきました。
亡くなる4~5日前くらいから左足が痛みだし、呼吸もしずらくなってきたので急遽入院をし、栄養剤の点滴と痛み止を処方してもらい少し楽になっていました。
亡くなる日の前の晩、母は酸素吸入を付けながらも孫の彩愛に怒ったり、「頑張るわぁ」と私に言ってくれました。
私が帰る時、「また明日」と笑顔で母が手を振ってくれた時何故か足が前に進みませんでした。
何故その時、当たり前の様に明日も母に会えると思ったんだろう。
何故もっと話さなかったんだろう。
次の日の早朝、病院から電話があり血の気が引きました。
厳しい状態なので早く来て下さいと。
急いで病院に駆けつけた時には、母はもう半分意識がなく一点を見つめ苦しそうに呼吸していました。
手を握り、何度も何度も「お母さん」と声をかけましたが、返事をしてくれる事はありませんでした。
最後まで頑張って呼吸をし続けた母。
ゆっくりゆっくり大きく息を吸い、大きく吐いて家族が見守る中静かに息を引き取りました。
脳内出血や臓器に出血はなく、血液中の酸素が減り呼吸不全になり亡くなりました。
主治医からは、同じ病状で亡くなった方々と比べ、苦しむ時間も少なかったと言われました。
普通、骨に転移したらめちゃくちゃ痛いみが酷いらしいですが、母の場合最後の最後に痛みが出たのでそれだけがせめてもの救いでした。
この2年間、この日が来る事を毎日恐れて過ごしてきました。
同じ病状の方のブログを検索しては途中で終わっていたり、家族の方が亡くなった報告を代わりに書いているのを見て、自分もそんな日が来るのか…絶対に嫌だ。と思っていましたが書き込みをする事になってしまいとても残念です。
母は本当に思いやりのある優しい母親でした。
どんな時も家族の事を思い、いつも一生懸命で、私達家族にとって母は太陽でした。
そんな母が小さい頃から大好きで、大好きで、大人になってもなかなか親離れ出来ない私はいつも母と一緒で、深い絆で繋がっている友達の様な親子でした。
大好きな母ともう話せない、一緒に出掛けたりできない、孫の成長を一番見て欲しかったのに見せれない…何故、何故母が…という気持ちで今はいっぱいです。
私は未熟なので他の方みたいに前向きな事はどうしても書けません。
ですが、母はきっとこれからも今までよりずっとずっと側で見守ってくれると思います。
そして、母は沢山の温かい優しい方々にいつも支えられ沢山元気をもらい本当に幸せだったと思います。
皆様のおかげで、母はここまで頑張って来れました。
言葉に表せない程感謝しております。
いつもいつも温かく支えて下さって本当に有難うございました。
急いで病院に駆け付けて下さった皆さん、ご多忙の中お通夜、葬儀に来て下さった方々、遠方から足を運んで下さった方々、母の事を思ってくださった沢山の方々、本当に有難うございました。
葬儀の途中、母が大好きだったBAILABAILA10をBGMで流させて頂きました。
家でも孫とよく二人で踊っていました(^-^)
きっと今まで我慢した分バンバン踊っているでしょうね。
最後に皆様にお願いがあります。
どうかこれから時が流れても、頭の片隅でこんな人がいたな~くらいで構いませんので、時々母の事を思い出してあげて頂けると幸いです。
どうか宜しくお願いします。
長くて拙い文章で申し訳ありません。
ここまで読んで下さって本当に有難うございました。
MAYUMIの娘
MAYUMIの娘です。
6月1日(土)午前10時37分、最愛の母が2年の闘病生活を終え永眠致しました。
もっと早くに書こうと思っていましたが、私自身突然の事で混乱しており遅くなってしまいすみません。
一昨年に胃癌の手術をし1年後に再発。骨に転移。
昨年から絶望する様な事を主治医から沢山言われ続け、それでも前向きに希望を持ち続け頑張ってきた母。
アレルギーのせいで使える抗がん剤も少なく、昨年の夏も危ない状況がありましたが最後の抗がん剤が奇跡的に効き持ち直す事ができました。
それでも主治医からはもって数ヶ月と言われていました。
しかし、家族も絶対に母を死なせたくないという思いで民間療法(温熱治療や丸山ワクチンのなど)を試してきましたが、最後の抗がん剤も効かなくなり、
血小板がどんどん下がって身体中内出血だらけになり、いつ脳内出血してもおかしくないと主治医から言われ続けて毎日不安な気持ちで本人は勿論、家族も過ごしてきました。
亡くなる4~5日前くらいから左足が痛みだし、呼吸もしずらくなってきたので急遽入院をし、栄養剤の点滴と痛み止を処方してもらい少し楽になっていました。
亡くなる日の前の晩、母は酸素吸入を付けながらも孫の彩愛に怒ったり、「頑張るわぁ」と私に言ってくれました。
私が帰る時、「また明日」と笑顔で母が手を振ってくれた時何故か足が前に進みませんでした。
何故その時、当たり前の様に明日も母に会えると思ったんだろう。
何故もっと話さなかったんだろう。
次の日の早朝、病院から電話があり血の気が引きました。
厳しい状態なので早く来て下さいと。
急いで病院に駆けつけた時には、母はもう半分意識がなく一点を見つめ苦しそうに呼吸していました。
手を握り、何度も何度も「お母さん」と声をかけましたが、返事をしてくれる事はありませんでした。
最後まで頑張って呼吸をし続けた母。
ゆっくりゆっくり大きく息を吸い、大きく吐いて家族が見守る中静かに息を引き取りました。
脳内出血や臓器に出血はなく、血液中の酸素が減り呼吸不全になり亡くなりました。
主治医からは、同じ病状で亡くなった方々と比べ、苦しむ時間も少なかったと言われました。
普通、骨に転移したらめちゃくちゃ痛いみが酷いらしいですが、母の場合最後の最後に痛みが出たのでそれだけがせめてもの救いでした。
この2年間、この日が来る事を毎日恐れて過ごしてきました。
同じ病状の方のブログを検索しては途中で終わっていたり、家族の方が亡くなった報告を代わりに書いているのを見て、自分もそんな日が来るのか…絶対に嫌だ。と思っていましたが書き込みをする事になってしまいとても残念です。
母は本当に思いやりのある優しい母親でした。
どんな時も家族の事を思い、いつも一生懸命で、私達家族にとって母は太陽でした。
そんな母が小さい頃から大好きで、大好きで、大人になってもなかなか親離れ出来ない私はいつも母と一緒で、深い絆で繋がっている友達の様な親子でした。
大好きな母ともう話せない、一緒に出掛けたりできない、孫の成長を一番見て欲しかったのに見せれない…何故、何故母が…という気持ちで今はいっぱいです。
私は未熟なので他の方みたいに前向きな事はどうしても書けません。
ですが、母はきっとこれからも今までよりずっとずっと側で見守ってくれると思います。
そして、母は沢山の温かい優しい方々にいつも支えられ沢山元気をもらい本当に幸せだったと思います。
皆様のおかげで、母はここまで頑張って来れました。
言葉に表せない程感謝しております。
いつもいつも温かく支えて下さって本当に有難うございました。
急いで病院に駆け付けて下さった皆さん、ご多忙の中お通夜、葬儀に来て下さった方々、遠方から足を運んで下さった方々、母の事を思ってくださった沢山の方々、本当に有難うございました。
葬儀の途中、母が大好きだったBAILABAILA10をBGMで流させて頂きました。
家でも孫とよく二人で踊っていました(^-^)
きっと今まで我慢した分バンバン踊っているでしょうね。
最後に皆様にお願いがあります。
どうかこれから時が流れても、頭の片隅でこんな人がいたな~くらいで構いませんので、時々母の事を思い出してあげて頂けると幸いです。
どうか宜しくお願いします。
長くて拙い文章で申し訳ありません。
ここまで読んで下さって本当に有難うございました。
MAYUMIの娘
