お姉ちゃん | miyuのブログ

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2014年2月に子宮頚がん1b1期線ガンと告知されました。

その後の経過と気持ちも綴っています。

私と姉は9歳も歳が離れていて
姉が小学3年生の時に私は産まれました。

近所や親戚の叔母さんたちが
これからは全部、赤ちゃんのものだよとか、、
からかわれた姉は隣町の親戚の家に家出したそうです(^^)

私が小学1年生入学の時に
姉は高校1年生でした。

姉の周りはいつも賑やかで
友達も多くて、いつも楽しそうでした。

小学生の私からは高校生は
もう大人で、早く大人になりたいと
姉を見て、そう思っていました。

小学4年生の時に姉は東京に就職しました。

西鹿児島まで見送りに行って
寝台車で寂しそうに乗っていく姉を見送りながら
とても寂しかった事を今でも覚えています。

3年過ぎて、姉は東京から帰ってきました。
2人姉妹なので、後取りは長女の役目だと
いつも父に言われていたらしくて
東京では結婚出来ないと思っていたみたいで

気まぐれのようにすぐに帰ってきました。

そして、すぐに結婚して
長男を21歳で次男を26歳で産みました。

理想でした。私も早く結婚して
早く子供を生んで、出きれば男の子2人欲しいと
思っていました。

それからは常にいつも姉の家に居る事が多くて
長男は私が中学2年生の春に産まれて
赤ちゃんがとても可愛くて大好きになりました。

次男は高校生の時に生まれたので

もう、あまり珍しくなくなり
高校生になりたかった私は次男の事より
自分の事が忙しくて、、あまり構ってあげた記憶がありません。

2人しか居ない姉妹、、
歳が離れているので大喧嘩はあまりしたことがなかったのですが、、

50代になった頃からか?
更年期なのか?ぶつぶつ人の悪口ばかり言うようになり、鬱気味になり
マイナス思考になり、、と、、

私が手術前は本当にひどくて
結構、イライラしてたのですが、、

手術してからもずっと電話が頻繁に来て
寝てた時に起こされて、、

我慢してた事が一気に爆発した事が
今回の大喧嘩でした。

半年間、お互いにメールも電話も一切せずに
夏の帰省も会わずに帰りました。

周りにまでいろいろ言ってるらしくて
母も親戚のお姉さんもとても心配していました。

けど、姉妹喧嘩なんて
どちらかが折れたら、まるで何もなかったかのように、仲良くなるもんですね!

今回の事でそう思いました。

喧嘩の電話をする前に
もしかしたら縁を切る事になる覚悟もして
今までのうっぷんを晴らすかのように

朝10時なら姉はシラフなので
電話して、一方的に怒鳴り散らしました。

泣きながら電話で怒りまくりました。

そして、一方的に電話を切りました。

もう連絡しないから、、と
姉はそれしか言わなくて、、

そういう意味じゃないのにと
ますます腹が立ちました。

LINEでごめんねとメールが来て
もう連絡しないからと、、

私は迷惑だからお酒飲んでからは電話して来ないでと言ってるのに、、

もう二度と連絡しないと
連呼するので、ますます腹が立ちました。

ひどい事もいっぱい言いました。

けど、、今回、こうして仲直りして
やっぱり、すごく嬉しいです。

やっぱり小さい頃から大好きだったから

今回は大喧嘩したけど、、
寂しかったのが本音で、けど、絶対に負けたくなかったし、、、
わかって欲しかった。

私もとてもわがままだけど
あまりにも自分中心に物事を考えて
威嚇してくる姉に、、

もっと言葉を選び、思いやりを持って欲しかったです。

やっぱりたまには喧嘩した方が
もっと深い絆が出来ると思いました。

関西に出てきて
沢山の感情を我慢する癖がついてます。

ある宗教をしていて
怒りの感情を押さえるように努力してるうちに
感情を表には出さないようになりました。

病気して14年間続けていた宗教は
キッパリと退会しました。

もう神様にすがらずに
自然体で生きていこうと入院中に決めました。

いろんな事があります。

姉の事はかれからは今までの以上に
大切にしようと思いました。

私には最高の2014年の年末を
今、関西で過ごせています。