正午過ぎの陽の光が、斜めに部屋に射し込む。

ここは何度来ても、緊張する。

実家の大広間は、糸をぴんと張ったようで息の詰まる空間だ。

僕の兄、すなわちこの由緒正しき名家の当主である松雪は、高座から広間に座して並ぶ面々を見渡していた。


進行役に促された宮司が、変わり無しと進捗状況の報告をする。つづく大臣たちも新たな打開案の無いことを表す様に口数は少ない。

それらを聞き難しい顔をしている兄を、僕は部屋の一番端の末席から眺めていた。


毎月一回の報告会議は、いつもの様に何の収穫も無く終わった。

大臣たちが退室すると、兄は末席の僕の顔を見た。

僕の覚悟を計るように見つめる視線を静かに受け止めると、兄は無言で去っていった。

その後ろ姿が寂しそうなのも、いつもと変わらなかった。


ぽつんとひとり。

ただ鳥のさえずりを聴いていた。

チチチと鳴く声が、僕を日常に戻すようだ。

暫くして部屋を出た。


長い廊下で、ふと足を止めた。

庭の乙女椿が満開だった。

鳥たちは庭石の上を跳ねている。

美しい庭。美しい世の中。当たり前が当たり前でありますよう。

僕は空の青さを胸いっぱいにして、前を向いた。


廊下の果ての玄関から正門への道を行く。

すれ違う使い魔たちが頭を垂れる。

ここは当然の如く、使い魔も皆、狐だ。

名家の使い魔よろしく、所作に無駄がない。

僕は、僕の屋敷で待っている太助に最中でも買って帰ることにした。


町の大通りは賑やかだ。妖怪や妖魔、そしてどちらとも分からない妖かし達が往来している。

僕の純白の尻尾を見て、珍しそうに手を伸ばすイタチの子が母親に叱られた。

ごく普通の妖かしからすれば、僕は天下の白狐さまだからだ。


妖魔にも階級がある。

大雑把に下から順に言うと、使い魔や妖怪のなりかけ、妖怪、妖怪が妖力を付けた妖魔のなりかけ、妖魔、といった感じか。

その妖魔にも色々種類がある。

庶民、学者、妖術使い、等々。


その中でも、神や仏に仕えし妖魔は位が高い。

代表的なのは、烏、鹿、蛇、狐か。

そして狐でも、赤、茶、灰、黒と妖力の強き一族の中にあって、最も強大な力を誇る名家であるのが、白狐なのだ。


母イタチがすまなそうにするので、大丈夫と微笑むと、子イタチは無邪気に笑った。


老舗の和菓子屋は相変わらず混んでいた。

のれんをくぐり、最中を選んだ。

太助の喜ぶ顔が浮かぶ。

足早に自分の屋敷へと戻った。

屋敷は一人で暮らすには立派すぎるほど広い。

必要な物は充分に揃い、何の不自由もなかった。


太助の出迎えがないので居間に行くと、座布団を枕に丸くなっていた。


「ふふ‥‥」


僕は箪笥から小さなかいまきを出し、居間の隣の部屋に敷いた。

眠る太助を抱きかかえる。

抱っこの感触。

母に抱かれた記憶はないが、乳母の腕のぬくもりは覚えている。

乳母が縫ってくれたかいまきに太助を寝かした。


居間で本を読んでいると、目を覚ました太助が起きてきた。

太助と最中を頬張り、一緒に夕げの支度をして食べた。

夜になり、おやすみを言って閨に行っても、眠る気にならなかった。


開け放たれた御簾から夜空を見上げた。

その真ん中で、月は白々と浮かんでいる。


「寒い‥‥?」


吐く息が夜風に消えた。

なんてことない風が、いつもと違って感じる。

着物の合わせをそっと押さえた。

風の冷たさは冷たいと感じるけど冷たくないくらいに平気。そう僕が言ったら笑ってたっけ。

ぬくもりに温かくなるって、どんな?

今なら少し分かるかも。

何故なら‥‥

それは、知ってしまったからだ。太陽を。


「翔くん‥‥」


無意識に口からこぼれた名前。

もう何回も呼んだ事があるのに、その名を口にしただけで、それだけで、少し心が温まる気がした。


彼の名を口にすれば、自然と目は閨の枕元にいく。

そこには翔くんにあげたものと同じものがある。

僕はそれを手に取ってまた御簾の下に座った。

翔くんに渡す前に、あのオブジェには自分のしるしを付けてある。いつでもこれと通用口を通す事が出来る。

人の世では、神社と翔くんの家は歩いてもわけ無い距離だ。

でも、ここでは‥‥


妖かしの世と、あちらと、繋いでよいだろうか。

こちらの世界に連れてくること、そんな深い関わりを彼に与えてよいのだろうか。


対の片方を手にした。

すると葛藤はなくなりそうになる。

会いたくて、手は勝手に動く。

道を通しても、鍵をかけておけばいいんだ。

向こうからこちらに来られないように。

そう自分に言い聞かせ、手は開通の印を切っていた。


覗けば、向こうの部屋の天井が見える。

明るいから、部屋にいるのかもしれない。


と、底が、揺らめいた。

ぐらりと揺れて、不安定に景色が歪む。


次の瞬間。


通用口から、人が飛び出してきた。


「あっ!?」

「うわっ!ととっ」


投げ出された翔くんは、ごろんと畳の上を転がった。


「翔くん‥‥」

「えっ?あれ?」


驚いた顔が、僕を認めると嬉しそうに笑った。

その笑顔を見たら、自然と涙が溢れて頬を伝った。


気づけば僕は翔くんの腕の中にいた。

二人の気持ちは重なって、言わなくても今まで積もらせたお互いの我慢があることが分かった。

知りたい翔くんと、知って欲しい僕との。

僕は静かに話し始めていた。

涙の訳を。

淡々と、事実だけを。


三年に一度、この妖かしの国の安寧と発展を祈願する、国をあげての神事、妖霊玉祭がある。

その妖霊玉祭で、帝や大臣らの前で祭司が予言をした。


この百年の内に、邪悪なる巨大な祟りが蘇り、負の雨を降らせ、大地は枯れるだろう。

しかし、悪しきものを再び滅ぼすことは出来る。

神に仕えし白狐の子がその命と引き換えに世を救うならば。

子が絶え、家が滅びぬよう、子は二人授かるようにしてやろう。

その片方を救いの神に差し出すがよい。


そうして兄と僕は生まれた。


別れが決まっているから。

別れは辛いから、関わりを最小限に。

それが当たり前とされた。

情が湧く前にと一年ごとに変えられた乳母。それでも最後の乳母は別れの朝に陰で泣いていたのを知っている。

そうなるから、始めから取られる距離。

この世の未練を持たぬよう、自分には制限される愛情。

そして名だ。呼べば嫌でも情が湧く。


「だから皆は、僕のことを、代と‥‥」


黙って聞いていた翔くんの、僕を抱く腕が小さくぶるっと震えた。


「なら、潤と呼ぶのも‥‥」


情が湧かないことが主旨ならば、潤という名で呼ぶことも、駄目ではないか。そう気づいた翔くんは、はっとした顔をした。


「ううん。僕は、欲しかったんだ。名前で呼んでもらえる、ただそれだけの、喜びを‥‥ずっと、ずっと‥‥」

「‥‥‥」


翔くんの、泣き笑いみたいな、なんとも言えない顔が、そっと僕に覆いかぶさった。

温かい唇が僕の唇に口づけた。


優しい唇とは裏腹に、瞳に宿る強い意志。


「俺は妖かしじゃないから、ここの考えはよく分からない。でも俺は、ならば余計に愛したい、と思う」


翔くんはそっと囁くように、けれど丁寧に、一言一言をはっきりと言葉にした。


「別れが待っているなら愛さない、というのは、俺は、絶対に、出来ない」



月が、照らす。

僕を映す綺麗な瞳を。


別れが待っていると言いながら。

その目は、全然諦めていないのが分かった。









つづく