韓国映画『詩人の恋』を観に行ってきました!
作年末!


韓国公開時のポスター。
左下の
「생각이  나」
の一言に、胸がぎゅぅっとなります。

생각이  나=思い出す

詩人の記憶から、きっと、いつまでも消えない日々。



韓国では詩が好まれます。
詩集がよく読まれたり、バス停など街中に詩が掲げられていたり。 
詩を生業とする方も、日本より多いのだと思うのですが、皆が皆、詩だけで食べていけているかというとそうとは限らないようで。



この作品の主人公は、妻の収入に頼るぱっとしない詩人。
妻はいわゆる妊活をしたいのですが、詩人である夫はそこまでの思い入れはありません。
そもそも性的欲求も多くはないのかも。
そんな時に出会った青年に、想いを抱くようになります。
青年を助けたい、笑っていてほしい、そんな雑じり気のない想い。
そして詩人と妻、青年それぞれの想いは交錯し…。



静かな海にさざ波が立ち、その波は大きくなることなくまた静かに凪いでいくような、そんな作品だったように感じました。

波が止んで振り返れば、その風景に大きな変化が見られるわけではないのかもしれない。
けれど立った波の下では人知れず小さな砂の欠片は漂い、揺れ動いて、たどり着いた場所は決して、元とは同じではない。



言葉を紡ぎ出すには、誰か・何かに恋をしていなければ。
世界には、恋を必要としなくても素敵な言葉を綴れるという人もたくさんいるのでしょうけど。
しかし詩、歌詞、俳句、短歌、さらには音楽や美術等も、人や物事に深く想いを寄せてこそ、より意味を込められるのではないのかな、と。

この映画の主人公の詩人も、青年と出会ってからの作品が世に認められたというあたりも、そういうことだったのかも。
(賞や世間の評価だけが素晴らしいというわけでは、決してないと思いますが。)

同性だから。既婚者だから。
そこが最大の壁、というわけではなかったように思います。

詩人はこの先、妻や子どもを大切にしていくのだと思います。
しかし彼の心から青年との出会いが消えることは、きっとないのでしょう。
青年もまた、同じように。



詩人を演じてもいらっしゃったのは、ヤン イクチュンさん。
ヤン イクチュンさんと言えば、『息もできない』での荒くれっぷりが強烈な印象として残っています。


が!その鋭く尖ったイメージとは劇的変化の、今回の詩人役!

知らなければ、同一人物とは分からないかも!
お腹もぽっこりして、あか抜けない中年という役柄なのですが、ワタクシは確実に今回の詩人の方が好きでした!