冷凍たこ焼きで「キャベタコ」
作ってみたよ。




25年くらい前、大阪の西中島南方
というところに住んでいた。
新大阪駅まで歩いて20分てとこかな。


バイトしてたキャバクラの裏に
「キャベタコ」と呼ばれてる
ワゴンのタコ焼き屋さんが時々来ていて
それがめちゃくちゃ美味しかった。

ひとふね800円くらいだったかな。

あつあつのたこ焼きの上に
綺麗に千切りされた
キャベツや天かすやらが山盛り乗っていて
食べきれないから友達と半分こして食べてたな。


裏の階段で客待ちしていても
仲良しの黒服の情報で


「来たで!」

という声を聞いたらさっさと上がって
キャベタコに並びに行った。


夢を追いつつ一人で暮らすことに疲れ
朝起きれないから昼間の仕事も続かず
時々キャバクラでバイトして日銭を稼ぎ
なんとか生きてた私だったけど


人生で初めて入ったキャバクラは
みんな仲が良くてアットホームな、思えば
ちょっと変わったお店だった。


何人かのメンバーとは
そのあとしばらく、年賀状のやり取りしてた。


スケスケチャイナのコスチュームこそ
怪しかったけど、あれも可愛かったな。
(セクキャバじゃないよ、
袖とスカート部分だけレースの可愛い制服だった)


地下鉄御堂筋線が地上に出る駅で
近くには阪急の南方駅


ひったくりと自転車の路上駐車の予防を呼びかける浜村淳のコテコテ音声が四六時中流れていた。


千葉に来てから、はや20年近く。


「たこ焼き屋」の屋台がないことにも
屋台といえば「焼き鳥屋」ってことにも慣れたけど、コロナ以降、そもそも屋台があまりない。


関西にいたら大阪じゃなくても
たこ焼き屋なんてその辺にあったし


こっちは安くてたくさん入ってる
あっちは高めだけど牛スジ入り、とか


色んなたこ焼きが
当たり前に食べられてたな…なんて

揚げたこ焼きをたこ焼きだと思ってる
こっちの人を、心の中でいつも残念に思う。

滅多に食べなくなったたこ焼きだけど
冷凍たこ焼き見つけたら買っちゃう。

で、当時キャベタコ屋台のお兄さんはまだ若く

「昼は昼で仕事してて、夜は余裕ある時にキャベタコやってます」

てなことを言っていて

そんな働き方もあるのか…
とぼんやり思ったことを覚えている。


未来は見えないし若さに人は寄ってくるし
チヤホヤされると同時に搾取されてもいた。


キャバのバイトはとても楽しくて
楽しく飲んで話して人と仲良くなって
たくさんお金もらえて、これのどこが悪いのかな❓

と思いつつも

これじゃダメなんだ、こんな私はろくでもないんだ。って気持ちに挟まれて、どんどん病んでく真面目ちゃんだった。


男性と話して好きなお酒飲んで
楽しくお金もらうことへの罪悪感と

夢を理由に生きてたはずなのに
一人暮らしの生活ができなくて
自立できない自分への罪悪感

親とかそーゆーものへの罪悪感でいっぱいで

MC事務所に金払って通って何になるんだろ❓

と、高い習い事に金払って
モノにならない自分を卑下する気持ち

かといって
事務所や関係各位の雰囲気は全然楽しくなくて、

その世界でやっていけるとも、いきたいとも思っていないのにやめられないという

見栄とプライドとちゃんとしなきゃ、
という真面目な気持ちだけで生きていて

不眠症は悪化するばかりだったから
バイトはキャバでの体験入店を繰り返していた。

今ならわかるよ。

「夢を追って頑張ってる私」
でいないと
親に認められない


と分かっていた。

親と縁切って、より分かるようになったのが
「ただの自分」に対する安心感と信頼感が
私には根こそぎなかったのだった。

何か…人から認められるようなことをしている時や、有名な人と働くとか、関わるとか、誰かに認めてもらっている私、だとか

そーゆー私であれ、と教育されてきたし
挫折することやゆっくり休んで考えること
本当の自分と向き合う、といったことが

精神的に許されていなかったのだった。

でもさ、あの時自分の気持ちに従って
楽しい方に進んでいたら
変な病み方しなかったんじゃないかな?

と思ったりもしたけど、あの時の私はきっと
何を選んでいても自滅したに違いない。


それくらい
自分との信頼関係がズタボロだったから。


で、今また人生の転機。って気がする。

次は、どんな気持ちでどこを目指そうか。

そんなことを考えながらダラダラ過ごして
キャベタコ作ってみたりなんか、してる。

人生って長いよね。
だから今から始めよう。

私のための最高の未来を創ることを。


あなたも一緒に
自分の希望を見つめてみませんか?


ということで、
近々コミュニティの参加者募集します。


期間は2ヶ月程度。
自分の本音を確認する場所を作ります。
何よりも、自分のためにウインク

一緒にいかがですか❓