文学って、人のありとあらゆる営みを
表現することで肯定している気がして
好きです。
私みたいな、社会的マイノリティでも
生きてていいよな、って安心するんだよな。
小・中学生時代、活字中毒だった私は
学校の休み時間には、いつも本を読んでいました。
(とはいえ子ども、ブームはあるから
全然外で遊んでなかったわけじゃ、全然ない)
物語の世界に没頭する快感に
浸っていただけだけど
「頭がいい」と思われたり
「昼休みは外へ出て遊べ」と怒られたり
周りの反応は色々だった。
本を読んでいても
ゲームに熱中していても
外遊びに夢中でも
大人は何かしら言ってくるものだなぁ…
うるさいなぁ…
と、思っていた。
今、うちの小4はゲームに夢中だけど
時々友達から借りた本を読んでたりもしてて
好きなコンテンツが色々あるって
いいな、と思う。
(今日はワンピース流しながら
フォートナイトやってる、半裸で😅)
うちの母親は「本を読め❗️」が口癖で
マンガは禁止だった。
「本を読む子は賢くなる!」
というのを信じていたらしいが、
そーとも限らないんだな!w
言われるままに…というか、
読書についてだけは文句を言われなかったので、
本の世界は私には格好の逃げ場だった。
「大人の言うことを聞け」
「年寄りを敬え」
「親や先生に背くな」
「目上を尊重しろ」
と口うるさく育ったこともあり、私は
人間は年齢とともに賢く偉くなるもので
死ぬ直前の人が一番賢いのだと、
なんとなく解釈していた。正直よね![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
それが中学生になったある日、
わかってしまった。
親が読め読めと勧めてくる文学本を、
本人は全く読まずイメージだけで
読んだことにしちゃってることに‼️
え、読んでないよね…❓![ニヤニヤ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/037.png)
![ニヤニヤ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/037.png)
こちとらガッチリ読んでるから、
分からないわけない。
それで、私は
今まで怪しみつつも
この人(母)の言うことを
かろうじてちゃんと聞いてきたれけど
どうやらその価値はないらしい…
と衝撃を受けつつ悟ったのだった。
自分の知能が「親を超えた」と
感じた瞬間で、中2か中3だった。
ちなみに母は島根県出雲市出身であることを
とても誇りに思っていた。
当時人から譲り受けた
「出雲阿国」という文字数の多い本を
私は読破して、感銘と混乱の最中にいた。
これだったかどうかも忘れちゃったけど
阿国って、超ビッチなわけ。
物語の始まりは、婚約相手を置いて村を出て
出会う男を渡り歩いて人生切り開き
かぶき踊りという女と男が性を逆に演じて踊る
「歌舞伎」の原型を作って…という話ですが
最後は盲目の琵琶弾きのエロ坊主に
爪で喉ひっかかれて死ぬ、(だったと思うけど)
みたいな、そりゃもうこの上なく性的な話。
それを「下ネタ厳禁‼️」て目で厳しく見張り
タンスの中に隠してあった
学校で回ってきたエロ本を発見して
怒り狂うような母が
嬉々として勧めてきてたことへの違和感。。
え、もしかして、
読んでない…❓
内容知ってたら、中学生の娘に
絶対に勧めないだろ‼️
…ということがあったのね。
本の面白さを知るキッカケは
確かに母が与えてくれたかもしれない。
が、
母の意図と私の没頭の結果は大きく違い…
ていうか、そもそも母が「読めない大人」
だったという衝撃よ。
あんなに読書勧めてきてた本人
読み方を知らない人だったのね、という
「大人」への絶望は
明らかに私の成長転換ポイントだった。
母は後に自分のメールアドレスにも
「イズモノオクニ」っていれてたんだけど
それって…私はビッチです‼️
って言ってるようなもんじゃん❓
この人、頭大丈夫…❓
じゃないな、と私はまた確信したのでした。
てなことでね
私はたくさん読んできたから
「この人、何を言いたいのかな?」
って考える頭は良くなったと思う。
世の中にはありとあらゆる考え方があるし
世界は目の前の現実だけじゃない
って知ったことも、私の根本的人生観を、
基本明るいものにしてくれた原因かもしれない。
「読んで味わう」って孤独な作業でしょ?
だから私は、基本的に孤独が嫌いじゃない。
だって、人生を味わったり考えたりするには
自分一人の時間が必要だもんね。
読書の楽しみを思い出せて
本当に幸せだ。