文学って、人のありとあらゆる営みを
表現することで肯定している気がして
好きです。


私みたいな、社会的マイノリティでも
生きてていいよな、って安心するんだよな。


小・中学生時代、活字中毒だった私は
学校の休み時間には、いつも本を読んでいました。


(とはいえ子ども、ブームはあるから
全然外で遊んでなかったわけじゃ、全然ない)


物語の世界に没頭する快感に
浸っていただけだけど


「頭がいい」と思われたり
「昼休みは外へ出て遊べ」と怒られたり
周りの反応は色々だった。


本を読んでいても
ゲームに熱中していても
外遊びに夢中でも

大人は何かしら言ってくるものだなぁ…
うるさいなぁ…

と、思っていた。

今、うちの小4はゲームに夢中だけど
時々友達から借りた本を読んでたりもしてて

好きなコンテンツが色々あるって
いいな、と思う。

(今日はワンピース流しながら
フォートナイトやってる、半裸で😅)

うちの母親は「本を読め❗️」が口癖で
マンガは禁止だった。


「本を読む子は賢くなる!」
というのを信じていたらしいが、
そーとも限らないんだな!w


言われるままに…というか、
読書についてだけは文句を言われなかったので、
本の世界は私には格好の逃げ場だった。


「大人の言うことを聞け」
「年寄りを敬え」
「親や先生に背くな」
「目上を尊重しろ」

と口うるさく育ったこともあり、私は

人間は年齢とともに賢く偉くなるもので
死ぬ直前の人が一番賢いのだと、
なんとなく解釈していた。正直よね照れ


それが中学生になったある日、
わかってしまった。


親が読め読めと勧めてくる文学本を、
本人は全く読まずイメージだけで
読んだことにしちゃってることに‼️


え、読んでないよね…❓ニヤニヤ


こちとらガッチリ読んでるから、
分からないわけない。

それで、私は

今まで怪しみつつも
この人(母)の言うことを

かろうじてちゃんと聞いてきたれけど
どうやらその価値はないらしい…

と衝撃を受けつつ悟ったのだった。


自分の知能が「親を超えた」と
感じた瞬間で、中2か中3だった。


ちなみに母は島根県出雲市出身であることを
とても誇りに思っていた。




当時人から譲り受けた
「出雲阿国」という文字数の多い本を
私は読破して、感銘と混乱の最中にいた。


これだったかどうかも忘れちゃったけど


阿国って、超ビッチなわけ。
物語の始まりは、婚約相手を置いて村を出て
出会う男を渡り歩いて人生切り開き

かぶき踊りという女と男が性を逆に演じて踊る
「歌舞伎」の原型を作って…という話ですが

最後は盲目の琵琶弾きのエロ坊主に
爪で喉ひっかかれて死ぬ、(だったと思うけど)

みたいな、そりゃもうこの上なく性的な話。


それを「下ネタ厳禁‼️」て目で厳しく見張り

タンスの中に隠してあった
学校で回ってきたエロ本を発見して
怒り狂うような母が

嬉々として勧めてきてたことへの違和感。。

え、もしかして、

読んでない…❓


内容知ってたら、中学生の娘に
絶対に勧めないだろ‼️
…ということがあったのね。


本の面白さを知るキッカケは
確かに母が与えてくれたかもしれない。

が、

母の意図と私の没頭の結果は大きく違い…
ていうか、そもそも母が「読めない大人」
だったという衝撃よ。

あんなに読書勧めてきてた本人
読み方を知らない人だったのね、という
「大人」への絶望は

明らかに私の成長転換ポイントだった。

母は後に自分のメールアドレスにも
「イズモノオクニ」っていれてたんだけど


それって…私はビッチです‼️
って言ってるようなもんじゃん❓


この人、頭大丈夫…❓
じゃないな、と私はまた確信したのでした。


てなことでね
私はたくさん読んできたから

「この人、何を言いたいのかな?」

って考える頭は良くなったと思う。


世の中にはありとあらゆる考え方があるし
世界は目の前の現実だけじゃない

って知ったことも、私の根本的人生観を、
基本明るいものにしてくれた原因かもしれない。

「読んで味わう」って孤独な作業でしょ?
だから私は、基本的に孤独が嫌いじゃない。


だって、人生を味わったり考えたりするには
自分一人の時間が必要だもんね。


読書の楽しみを思い出せて
本当に幸せだ。