以下、深夜のキッチンに立ちながら考えたこと。

「死にたい」っていうのは
本当じゃない場合が多くて

例えば過去の私は

「安心してゆっくり眠りたい」
って意味で使っていた。

安らかに眠れ、と放って置かれたかった。

うまく眠れなかったし
起きている時にも眠りたかったな。


「もう誰の期待にも応えたくない」

って時もあった。


人の言うことばかり聞いて
生きるのが嫌になっていたから

そんな自分を終わらせたかったのだ。

その頃の私が本当はどうしたかったか、
今考えれば簡単だけど


「本音言っていい」


という許可を自分におろせていなかったから
死にたい、って言い方になったのだと思う。

死にたい、って言葉には
他人に文句を言わせない力があると分かっていたのかもしれない。


本当は全然死にたくないけど


死ぬほどむかついたり疲れたりすると
分かんなくなるのよな。


あと、死ぬほどうるさい環境にいたりすると。


こんな過去があるから、 
いつでも自分の本音を探っていたいと思う。


他人の言葉に耳を貸すのではなく
自分の心に潜り込み、本心を拾う。


深夜の台所は、さっき作ったスープの香りが
柔らかく満ちていて、幸せな気分になる。


それでね、

「楽しい気持ちになろう」

というのが、今年の目標。
ちょっとした瞬間を楽しく。

楽しい考えを探すクセをつけたい。

不幸や苦労には本気で飽きたから
今度は楽しい嬉しい気持ちを集める。


どうなるのか楽しみだ。


アプリ使わないと肌のトーンが年相応だわ真顔