いや
「パーソナリティ募集」っていうの
見つけちゃって。

つい説明会に応募しちゃって。


そしたらさ❗️

「もし公共の放送でしゃべれたら❓」

って考えが楽しくて仕方なくて
ワクワクしてる自分を見つけて
ほんとにびっくりした‼️びっくり


もう20年前くらいの話なんだけど
地方のコミュニティラジオで
音楽番組を1時間やらせてもらってた。

(少ないけどギャラはあった)


その頃の精神状態はひどかった。
他人の表の顔と裏の顔や
事情を見過ぎたうえ


自分の表裏の使い分けも下手すぎて
…病んでた。

まぁ変わった人も多かったし
ど田舎で男性主体社会で
女社長の側近だったから


変なもの…趣味に合わないものも
いっぱい見たし
巻き込まれまいと必死だった。


24.5歳だったかな。

周りは年上ばっかりで
年下を見ると抜かれそうで怖かったし

年上の人と仲良くなったかと思ったら
見事に裏切られたりして。


ほとんど女同士の世界でのこと。
私の女アレルギーも悪化した。


誰のアドバイスも参考にならないまま
何のためにやってるのかも分からないし
何がしたかったのかも忘れ


1ヶ月間熱が下がらず顔がパンパンに腫れて
急性アルコール中毒になって病院にも運ばれ

逃げるように辞め、引っ越しました。


四半世紀住んだ関西での
最後が最悪の思い出よ


…辞めたかった。
もっと優しい環境に身を置きたかった。


そんな挫折の思い出の前に
ありありと蘇ってきたのは


人前で話す楽しさ。
人の反応を見ながら進行する面白さ。

あー、私、好きだったんだって
体で思い出した。


人前で話すこと、純粋に好きだった。
スタッフとの関係とか
事務所の力関係とか
先輩に裏をかかれるようなやり取りや関係性


全てに疲れていたけれど
目立つ立場でもあったから
誰も共感してくれなかった。


誰にも共感されない以前に
自分が自分の感性を信じられないまま
人前に出ていたことで、さらに私は傷ついた。


嘘ばっかついてた気分で
ほんと、サイテーだったけど


人からは変に嫉妬されたりして
それでまた傷ついたりして


もう、傷ついてばかりいた。


思えばあの頃関わってた女性たちは
みんな不安だったんだと思う。



ま、説明会に申し込んだラジオ局は
番組枠を買うようなシステムで。

申し込んだけど多分、
わたしは説明会に参加しないだろう。


だって私
有料でしゃべりたいなーって思ったから。
ちゃんと仕事として。

いつか近い未来に、そうできたらいいなぁ。
ラジオでしゃべりたい。

じゃなくても、
公共の場でしゃべりたい。


20年前にも一応、夢は叶えてたんだ。


だけど今度は、もっと自分のままでやりたい。
自分のままで自分の言葉で自分の思いを
しゃべる場がほしいんだ。

…ちゃんとお金もらって。


挫折した夢の回収をしたい。


もう、無料で仕事すんの嫌。
すり減るの、嫌。


恥ずかしくて言えなかった私の本音が
見つかりました。





昔のわたしに言いたいのは
傷ついたまま動くとケガひどくなるよ‼️

ってことよ。


だけど、「安心」ていうのも
知らなかったのかもしれないな。


地の底を這ってきたわたし
懲りずにまた復活しつつあるよ。




↑このワーク、本当に効くよ。



安心を選ぶのに、慣れますように!






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