唐突ですが

私は「宗教二世」です。



なんだか急に、自分が入ってた宗教の話と

それ絡みで育った環境のことを

なにも気にせず語りたくなったのです。



普通の家庭で育った男と一緒に子育てしていたら、自分が子どもの頃の生活習慣って

ちょっと特殊だったのかもなぁ…


って思い出すわけです。


んなもん、各家庭にあるんだろーけど。



自分の家が「よそとは違う」ことを

と認識していたし


母がお嬢だったので


「うちはよそとは違うんですの」感を

結構出してた気がする。



だからこそ、変だなとかこれ嫌だな

と思っても、あんまり言ってこなかった。



それは単に宗教に入ってるから

というよりは


うちの親の性質ややり方はちょっと変わってるから、人からは引かれるだろうな…


と子ども心に感知していたから

「違和感あっても当たり前」の姿勢で生きていた。


だからなのか、私って

けっこう言ってないことが多い。


あえて話せば


「ええ〜?!」


みたいな話が多いのだけれど

誰に話していいのか分からなかったし

誰にでも話していいものとは、思えなかったのだ。


例えばダンナに話しても

理解されないようなことは多い。



うちの男どもは、シンプルだ。

心に何にもない。

いつもクリアだ。

何かあれば顔と態度に出るので

すぐに分かる。



一方私は、わりと隠蔽体質だ。

意図的ではなく、訓練でそうなってしまった、みたいなところがあって、やめたいなーと思う。



だからこんなの、書き始めたのかも。



小3の子どもも、

どう見てもストレス少なめで



私が同じ年だった頃とは大違いにのびのび自由にしていて、羨ましいし感心する。



もう外側の何も気にせず

今まで考えてきたことや感じたことを

洗いざらい話してみようと思う。



…体重、軽くなりそう爆笑



ということで「子どもの私と宗教と。」

みたいなテーマで書いていこう。


長くなります、多分。


……



そもそも「宗教二世」って言い方が

変なイメージというかネガティヴなイメージがあるかもしれないけれど



自分の育った環境を表すのに

あまりにぴったりくる言葉なので

便利に使わせてもらってます。



ほんと、便利。



親が選んだ宗教に、自動的に入信

または所属させられた子ども、って意味だけど、実情は色々。



結局、親がどの程度熱心だったかで

子供への影響もかなり変わってくる。



「親の趣味」とか「主義や考え方」は少なからず

子供に影響するけれけど、それと同じ。



私の場合、生活の一部すぎて疑問にも感じず

オヤツくれるおばあちゃんちに遊びに行ってる感じだった。


辞めた今でも、看板を見かけると

地元のような懐かしさを覚える。


私が入ってたのは

PL(パーフェクトリバティ教団)という宗教法人でしたが、30才手前で辞めました。



PLで見た二世は、以下4パターンかな。



1.親に連れられて教会に出入りを始め、大人になってもそのまま信仰している人。


2.辞めさせてもらえない、または、

辞め方がわからず、会費だけ払っている人。


3.信仰はしていないし教会にも行かないけど

会費だけを払い続けている人。


4.子どもの頃は興味がなかったが大人になってあらためて出会い、自分の意思で信仰するようになった人。




1.と4は幸せな宗教二世だと思うけど

それ本当に自分で意思決定するタイミングあったのか⁉️



っていうと、人によると思う。


私は途中まで1だった。


20歳になったらやめるつもりだったけど、

教団絡みの友人関係が疎遠になるのはちょっと寂しかったし(思えば関係なかったが、その頃よく遊んでた)


親絡みの悩みが多く、それは

教会の先生にしか相談できなかったので

なっかなか辞められなかった。


振り返れば、相談して解決した試しはなかったので、さっさとあきらめて思う道を行けばよかったと思う。


が、近くにいるとそうもできなかったし、あの頃は教会が、多少は緩衝材の役割を果たしてくれてもいた。


もはや教えとか信仰関係なく

教会は、人間関係の中継地点だった。



しかも、地元に帰ってみたら

支所には高校の同級生のお姉さんが

新米教師として赴任しており


ど田舎で親との関係のストレスもあったので、この頃は彼氏連れてって先生と3人で、教会で餃子パーティしたり、よく出入りしては話を聞いてもらってたし、イベントとかのお手伝いもしてた。



楽しみや友達があんまりないと教会に行く、という二世は私だけじゃないかもしれない。


暇だから幼馴染のうちをのぞきに行く、みたいなノリで。



学生時代の知人は、親がPLの教師をしている関係で、別の教会に居候しながら大学に通っていた。


やっぱ「宗教」絡むと色々悩むよね、

教師の娘だし…って話とかを学生部のイベントで会った時などに雑談で聞いた。


最終的に彼女がPL教師を志すイケメン

(本庁と言われる本部エリアで人気だった、教師予備生)と結婚したのを見て


やっぱり親子関係がモノを言うよな

と思った。



宗教的な理由もあって

親を遠ざけていたけれど、大学の先生にふと


「愛されて育ったのがわかるよ」


と言われたのがキッカケで教団に戻ったと聞いた。




それを聞いた私は、宗教関係なくて

いい親子関係なら結果オーライじゃん、

と、寂しく思ったのを覚えている。



彼女はどことなく反抗的で、

教会の学生部活動でも

先頭に立ったり積極的なわけではなく


ちょっと嫌々参加してる風なのが

正直に見え好感を持てたのだった。



都会では、教会に出入りする人もひと味違うなぁと思い、私はその人のことをけっこう好きだったのだ。




宗教二世って、そもそも

宗教概念なんてない子どもの頃から教会に出入りして、「教え」の話を浴びるように聞かされてる。


とはいえ、どの程度教会に関わってるか

親が頻繁に出入りしているかによってかなり違う。



私は宗教法人が運営する高校に進んだけど

同級生は「PL」が宗教だってことすら知らなかった、って言ってるし



スポーツ推薦枠もあったので

「教え」とか「信仰」とか

関係ない人たちもたくさんいたし


もちろん「教師」の子どももいた。


…どこにでもコントラストはある。


礼拝的なものが死ぬほどあって

基本何をする時でも

事の始めと終わりに「しきる」という

神事というかお祈りみたいなのをするわけ。



純な信者は

まぐわいの前後にもしきってんじゃないの?!



って思うくらい

何かにつけてしきってたけど

もはや習慣化しちゃってて、何とも思ってなかった。


けじめをつけて集中する、って意味かな、多分。


お願いします!

ありがとうございました!

でいいじゃん、と思ってたけど


「一同、只今から○○を始めさせていただきます。どうか集中してよりよい時間となりますよう…云々カンヌン…」


ていうのを前後にやる。

学校の授業の前後にも。

学生はめんどくさがって、てきとーになるからか、時々礼拝指導もあった。



大人になってからも

「宗教」という考えはなしに


知り合いの家に遊びに行くような感覚で

教会に出入りしてた。


ちなみに教会に行くと

「おかえりなさい」といわれ、帰る時には「いってらっしゃい」と言われるので、家みたいに思っても仕方ない。



というか、そんな安らぎの場にしよう、みたいな意図でそう言い合ってたんじゃないかな。



ちなみに、日本全国、津々浦々に教会はあり

私は内部で働いていたこともあり

やめた今でも「知ってる場所」という感覚が残ってるし、同級生から


「○○さんが結婚して今○○教会にいるらしい」


という話を聞くこともあるので

もはや地元っぽい感じ。


子どもの頃は


「おばあちゃんち」とか

「公民館的な場所」とか

「友達がいるところ」っていう認識がメインで

「信仰」が何かすら、全くわかってなくて



親に教会行事や教会でやってる習い事に連れて行かれてた感じ。


支所には、隠し鍵置き場があって、いつでも自由に参拝できるようになっていたから


親と仲が悪くなる中学生の頃には

逃げ場所としても利用していた。

これは助かってた。


安全に一人になれるし

「教会に行った」と言えば色々許されたから。



地元は小さな支所で、

「献身(みささげ)」という名のもと

うちの親がかなり熱心に会員さんや支所のお世話をしていたので、子どもの頃はほぼ毎日通っていた。


本来、事務局でやるような会費の収集とか

新聞や本などの発行物を送ったり配ったり、


「宝生袋」という、お賽銭を個人化したみたいな袋を毎月回収して、本庁に送ったり、会員さんの情報整理を手伝っていた。


みんなが「先生」と呼ぶおじいちゃんと

おばちゃんと呼ばれる奥さんが、二人で支所に通い、主に悩み事を聞いたり神事を執り行っていたけれど


実際は正式な「教師」ではなかったと

後に知った。先生だと思って話を聞いていたから、違うと知ってびっくりした。



しかも高校で私は「先生」のお孫さんと同級生になるのだから、思えば狭い世界よね。



私が小学校低学年の頃までは

5時起きで早朝の朝詣りに隣町の大きな教会まで行って、朝詣りのあと、みんなでうどん食べるのが楽しみだった。



「部活」的なノリだったし、うちの父は

「あれはサークルや」とか言ってて


信仰している、というよりは

教会に出入りする様々な人間関係を楽しんでいる風だった。


飲み会やイベントも多かったし、

酒好きにはたまらんよね。

もはや教え関係ない。


市の議員さんやってる人もいて、選挙中は手伝いに行ったりと、80年〜90年代はかなりカオスだったし、大人たちがまだ熱かった。



1970年〜1980年代は

様々な新興宗教の勧誘活動が盛んだった。



私は1980年生まれなので、

その渦中に生まれたことになる。



父は学生時代から

天理教会を泊まり歩いて全国を旅したり

(当時、学生は無料で泊めてくれたらしい)


色んな宗派の誘いを論破してまわってた、

生意気な高専生だった。



母と付き合うようになり

勧められてPLの教会に行き

初めてこの教えはすごい!と思ったらしいけど


一番の決め手は

毎年8/1に大阪の本庁で行われる「教祖祭」での大花火だったそうだ。


私はそれこそ、赤ちゃんの頃から

毎年連れて行かれていたので

花火大会ってああいうもの、という認識だったけど


「PL花火芸術」といわれるそれは


相当な数の花火が次から次へと打ち上がる。

最初と最後のスターマインは 

爆弾が落ちたんじゃないかってくらい

これでもか!とばかりに降り注ぎ


戦争で爆弾が落ちるって

こういう感じかな❓と思うくらい


暗闇が真っ昼間の明るさになり

バチバチバチバチ!と恐ろしい音を立てる、美しさと恐怖の饗宴、て感じの凄まじい花火。


会員席は打ち上げ場所から間近なので

それはもう、迷子になったことも忘れて見入るほど、空一面が火の海になるのを、真下から見るわけ。






ちなみに「教祖祭」「PL花火芸術」とは

初代教祖が亡くなる時の遺言で


「私が死ぬことは、この世に平和が早く訪れるということだから、悲しまずに花火を上げて祝ってくれ」


と言い遺したことから始まったらしい。

命を縮めて平和を願って死んだ、という話。



20代の父は、一瞬で消えてしまう花火に

あんなに金かけるなんてすごい!

これこそ芸術や!あれはすごいと思った!


と酒を飲むと嬉しそうに

何度も何度も話していたが、


へぇ〜とか言いながら私は


花火なんて消えてなんぼなのに

ケチな発想だなぁなんて思っていて


一心に何かを崇拝する親の姿には

子ども心にうっすら恐怖も感じ、


他の宗教にハマよるよりはよかったかな、と結論づけていた。


特に「日本赤軍」の事件を知った時

うちの母がいかにもハマって人殺しそう‼️滝汗

と思って、ハマったのが日本赤軍じゃなくてPLで、まだよかった〜と、本気でホッとした。



うちの母は、正義感が強すぎる

熱狂タイプで、これ以外は許せん!!


て人なので

「教え」ではそんなこと言ってないはずだけど…って場合でも、一人でどんどん熱くネガティブな沼を生み出すという



長女の私からすれば最悪な資質があった。


楽しくノリノリでイベントやるのに、みんなを巻き込む、とかだとまだマシだけど、


なんかひとつ気に食わないと

徹底的に相手を叩きのめす、みたいになって手に負えないので


なんでああなっちゃうかなぁ〜


と、迷惑被る一方で、ずっと考えてた。

真面目なんだろうけど、方向間違えると事件になる。



私が親を殺さずにいられたのは、高校進学と同時に家を出たからで、一緒に住んでいたら間違いなく殺傷沙汰だったと思う。



正義感の強い人って、最悪だな、って私は思ってて、自分もそういうところがあるから、


自分の人生に集中しないと、本当に迷惑な人になってしまうから気をつけようとほんとに思う。



裏返せばカリスマ性がある、と言えなくもないはずなんだけど。




そう、教え自体は変じゃなくても

人が絡むと色々で、


「それ違うでしょ!」

ということが山盛りあったので、私は辞めました。



信仰、って本来個人活動なのに

人間関係が露骨に絡むから大変だ。



だから「宗教二世独特の冷めた視線」て

他のものを見るにしても

けっこう大事だなって思ってる。



実際、この宗教についてどう考えるかなんて

親と膝突き合わせて話したことがないんだけど


わけわかんない子どもの時に勝手に入れといて、何の説明もないなんて乱暴だなぁと思う。


私なら子供に説明すると思うけど

それは多分、自分が二世ゆえに困惑した経験があってのこと。



うちの親なんて、

子供は自分のものだと思ってただろうから

いちいち説明したりする考えも浮かばなかったのだと思う。 



ちなみにPLの教えでは

「子どもは神の子であると思って育てよ」

と言われていたけれど


うちの親には全く理解できなかったらしい。


いくらいい教えを聞いていようと

「素晴らしい教えなんです!どう?」

とたくさんの人を勧誘しようが


子ども嫌いな女が専業主婦になり

教えどおりに子どもに接するなんて

どだい無理な話だ。



しかも、教師はほぼ男。

色々ムリだろゲロー



子育てを語る前に、自分を育て直せよ!

と思う大人は多いし


自分で考えたんですか⁉️って聞きたい人も多かった。



そう、私は「教え」と「現実の違い」を目の当たりに育ってきたわけです。



これまであえて語らなかったけど

自分の人生を、すっきりさせたくて

書いてるのかも。


これは、私の人生哲学の話にすらなりそうですな。



PLの教えや歴史については

学園生時代にかなり勉強させられたはずだけど、あんまり覚えていない。



子どもの頃から悩みは尽きなかったけど

「教え」は私を助けてはくれなかった。


ただ、母は教会(支所)に入り浸りで

今思えば献身(ボランティア)もほどほどにしてくれよ!


てくらい、身を捧げていたし

私たちの親世代は、これを美徳として身を捧げている熱心な会員さんが、どの教会にも必ずいた。



子育てが苦手な

元幼稚園教諭のプライド高めの母にとっては


宗教活動は、自己実現しているかのような錯覚を起こさせる、素敵な暇つぶしだったに違いない。


そんなに体力余ってんなら

働けばいいじゃん!と思うが、

主婦が働くなんて!って時代だったし


無料奉仕だからこそ

愚痴や不満をたれまくっても

みんな愛想つかすことがなかったのかもしれない、ってくらい、「教会の愚痴」は母の定番ネタだった。


無無料奉仕のよくないところは

文句言い放題で、本人たちは「こんなにしてやってる!」って思ってるから一向に愚痴や不満がなくならないってところだと思う。


仕事なら工夫するし

賢い人なら仕事でなくても工夫するだろう。



暇な主婦が「してやってんのよ!」ばりに無料で献身するのは、精神的には誰のためにもならないと思う。


特に身近な家族、特に、子どもにとっては避けがたい災難だった。


なので、「教え」とか「信仰」以前に

「教会」を巡る人間関係のことの方を私は

「宗教活動」なのだと思っていた。



大人になってからだんだん


あれ?いわゆる「宗教」って

思ってたのと違って、もっと思想的な深いところの方が重要ってこと??


信仰を通して、成熟した大人になるはずでは⁉️



と、不思議に思うようになっていった。


その思考の遅さというか

疑問を疑問として扱えない未熟さこそ

「宗教二世」の大きな特徴なんだろうと思う。



という私も小2まで

世界中の人全員がPLの人だと思ってたから

違うと知った時のショックは大きかった。


……つづく




私は宗教を通しては手に入れられなかった

「安心感」をセルフで強化するレッスン、はじめます。


私も日々やってる。





誰かが敷いたレールの上では

人は自分の人生を歩めないのかも。


大事なのは、自分で選ぶということ。

この先のレールは自分で敷くという覚悟。


または、このレールの上を行くという覚悟。


それだけよね。



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