定期的に、発作的に、いや
いつもいつもうっすらあってなくならない
この口にしにくい願望の正体、が見えました。

※私の場合です。

「家庭で見せる以外の顔を披露したい」
「家族とは合わない話で盛り上がりたい」

もっと言えば

「自分の世界をもっと広げたい」
「もっと自由に自己表現したい」

ってことでした。

そんなの勝手にやれば?!
って思うじゃないですか。

それなんですけど、

「女は家庭に入って家族を守れ」とか
「夫を支えろ」とか

そういう圧力による自主規制がかかっていた、
ていうか、それにとらわれていた自分に
きがついたよね。

しかも、「家庭に入って…」などと
私に言ってきたのって

元夫でも元彼でもなく、父でもなくて
「自分の母親・彼の母親・どこぞの元母親」
だったってことにも気がついた。

自分の先輩女子(母や祖母や義母)たちに
かつて言われたことを
まだ引きずっていた。

これが「集合意識」ってやつなんだと思います。

そして、うちの彼は
わかんない話を聞かされるよりも

自由にその仲間たちと集まって
楽しくやって機嫌良く帰ってきてくれ、と思ってるタイプです。

男の人って、パートナーにはもれなく

「楽しく自由にやって、ご機嫌でいてくれ」

って思ってるじゃないですか。

昔はそれなりの理由があったのだろうけど
今は今なりの変化に対応しなきゃ!と思った。

=今の一般男性は、女に家を支えろとか俺を支えろとかって、思ってないのだと思います。

「女」が引き受けてきたものって
自分だけではどうにもならない重いものがある。

たしかに時代を遡れば
女が我慢するしかなかった時間は長いのかもしれない。

だけどもう、全然そうじゃない方を
選べるのにね。

選べるのに選び損ねていた自分に気がつけて
よかったなと思う。

だから、私は自由に選ぶべきなんだ。
だから、私は自分の「気持ちいい状態」を追求しなきゃいけない、むしろ!

と思いついて、なんていうか
変な罪悪感がなくなった。

そりゃ、パートナーと何もかも分かち合えれば
コスパもいいさ。

だけどそんなにうまい話って、なかなかない。

それに、彼とは100%合うわけじゃなくても
「穏やかに楽しく子育てをする」ってことにおいては、想像以上の関係。

しかも、日々、年々進化してゆく。
わたしには、子どもの成長と彼の成長が
比例して見えるのです。

こんな恵まれた環境なのに、何でわたしは
まだ足りない、もっとこんな人がいいって感じてしまうんだろう…

って、申し訳ないような気持ちがあったよね。
素直に「もっとこんな人がいい!」とかって、散々日記に書いたりもした。

だけど、その欲望は、
むしろ自分への欲だったみたい。

家庭では発揮する機会のないわたしの感性を
どうにか表現したい!発散したい!
分かち合える仲間がほしい!
語り合える仲間がほしい!

そんな感じ。

書いてて、今気づいた…?!
て気持ちになってきたわ。

これじゃぁ彼氏できても満足できずに
暇つぶしで終わるわけですわ。

わたしはもっと、自分に本気で恋したいし
それを、表現していきたいのだと思う。
やり方を何度間違えても
どんなやり方でも、細くても切れてもいいから
続けていきたいのだと思う、自分が感じたことを表現し続けることを。

ちゃんと書けたかどうか分からないけど
忘れないうちに。

またひとつ、「主婦」という自分の立場についてすっきり。