物心ついたときから宗教二世。
それに加え、親が厳しかった…というか
精神不安定で八つ当たりが私にだけ激しかった。
素直ないい子では、全然なかった。
むしろ、全く空気が読めない、人間界のルールガン無視で、自分の思う通り行動してしまう子どもだった。
だから、いくら叱られても
やりたくないことはギリギリまでしなかったし
言い訳も下手で要領もめちゃくちゃ悪かった。
ただ、親と諸々のタイミングが合わないだけだったし、私の言動には、私なりの理由があることを、彼らは知らなかった。
そして私は、周りからはきっと
「何も気にしないで自分を通す、我の強い子」
に見えていたのだと思う。
いや、今でも親はそう思っているだろう。
そうとわかってはいても、
相手が何を考えて、私に何を望むのか
わかっていても
わたしは、そうしたくなかった。
けれど、全ての面で自分を通せるほど、
わたしは強くなかった。
周りが思うほど
わたしは強いわけでも自信があるわけでも悩みがないわけでも何も感じていないわけでもなかった。
むしろ、理解しようもない「他人」を理解しようと、必死で何もかもを観察してきた。
わたしは、感じたままに生きることが
あまり許されていないのだと分かっていた。
逆に、「ここでなら大丈夫だろう」
という読みも、間違ってはいなかった。
わたしはいつのまにか
空気を読むことには長けていたが
ノリ以外で他人に合わせることは
ほんとに最近までできなかったし
できれば誰にも合わせたくないと思っている。
「わたしの邪魔をしないでほしい。」
昔から、私に良かれと思ってあれこれ世話を焼いてくれる人たちに対して、よく思っていた。
が、絶対に言えなかった。
だって、子どもだったから。
彼らの補助なしに、私は生きられないと
死ぬほどわかっていたから。
その抑圧を、今でも引きずっていることに
最近また気がついたんだ。
大人になってからもわたしは
何度自分に規制をかけてきただろう。
もう、いい加減やめたい。
自分で自分の邪魔をするのをやめたい。
わたしを止めようとすることをやめたい。
反射的に他者を受け容れることをやめたい。
子どもの頃「子どもだから我慢しよう」と思ったことも、もしかしらおりこうさんな考え方だったのかもしれない。
子どもだったけど
「何か方法はあるかもしれない」
って思っててもよかったはずなんだ。
そんなことを今、つらつらと思いながら
とにかく今、少しの妥協も許さないぞ、
という意気込みで、毎日を過ごしている。
他人に対しての妥協ではないの。
自分に対しての。
だから、他人には棒読みゼロハート(0♡)な答えを返したり、なんなら無視したり、聞こえないフリをすることを、がんばる。
怒られたり問いただされたり説き伏せられたり反撃されたり、それは間違っている!
とか言われることが心底面倒で
わたしはナチュラルにウソをつく術を身につけた。
そんな過去のウソの数々が
今頃自分を苦しめていることに気がついたんだ。
生きるためについてきたウソ
自分を守るための命がけのウソ
きっと本当は、バレているんだろう。
もう、ウソはやめたい。
わたしはいちいち考えずに、馬鹿な私のまんまで生きていたい、自分を投げ出していたいんだ。
だがしかし、超高速で脳は働き、
自己防衛のための言葉を紡ぎ出す。
いいんだよ、もう、いいんだよ。
お疲れ様。がんばったよ。
賢くなったね。助かったよ。生き延びたよ。
もう、ここからは安全地帯。
むしろ本当に望む安全地帯のために
その能力は、プライベートではオフしよう。
嫌な時は逃げよう。
押し入れに隠れてもいい。
家から飛び出してもいい。
寝たふりをしてもいい。
怒り狂って周囲を制圧したっていいんだよ。
だからもう、ウソはつかなくていい。
わたしを苦しめ、助けてきた、
優しいウソつきさん。
あなたのおかげで、
ここまで生き延びられた。
わたしはわたしを失わなかった。
ただ、頑丈な金庫の中に隠しただけ。
宝物を取り出そう。
毎日、光輝く宝石を身につけよう。
わたしは本音で生きてもいい。
もう出てきても、いいんだよ。
今度は今まで隠し通してきた、
宝物が、わたしを助けてくれる番。
そして
おつかれ、命がけのぶりっ子ちゃん。
ありがとう、誠実な嘘つきちゃん。
またいつか、会う日まで。
ゆっくり休んでて。