思えば、誰かの前での自分と

自分ひとりでいるときの自分に差がありすぎて


疲れていたのだと思う。


何も考えずに発言したい。

考えずに動きたいし


動きたくもないのに動いたり

思ってもないことを言ったりしたくなかった。


慣れすぎていたのでしょう、

長いこと気が付かなかった最大の苦痛は

相手の好みを推測って合わせたり

驚かさないように気を遣って


本音で話せないことでした。



好きでもない贈りものに感謝を述べ

余計なお世話じゃ!



と叫びたい言葉を聞き流し


我慢の限界で

言いたいことが口からほとばしったあとに

何年間か無視される



ということとか



もうなんか、

すべてにうんざりしていた。



色々言ってくるその人たちに

わたしは憧れを抱けなかった。






ただ、長いことそれを仕事にしてきたこともあったし


親に逆らうな、みたいな言われを散々されてきたから、自分の本音を話したり貫いたりするよりも


だれに対しても「合わせられる私」が賢い!


みたいに

思ってしまっていたところがある。

環境に、思わせられていた。



親や親戚などの身内からしてみれば



「は?よくそんなこと言えるな!」



みたいな発言が、

わたしは多いのだと思う。



価値観が違うから仕方がないのだが

本音で話すと食い違いすぎてケンカになるか

ひどく怒らせるかのどちらかで。


「へぇ、あなたはそうなんだ!わたしは違うけど」


ですまされず



「は?何それ許せない!」

「それはダメでしょ!」



って反応をされることが面倒くさすぎて

ビジネス対応をするようになってしまっていたから、身内との関わりは、私にとってビジネスだった。


生きるための、ビジネス。



それはずっと以前

小4くらいの時にした絶望がキッカケ。



この親や親族が生きているうちは 

わたしは本当のわたしで生きられないんだガーン



って思った瞬間があった。



色んな夢を語ってみせたし

頑張るフリもしてきた。



ウソをついてる自覚はなかった。



ただ、その奥にある、本音を

自分でもずっと忘れていた。



誰にも気を使わず、

素のままでいたい。


好きなように好きなことを言い

自分のタイミングで動きたいし


何もしたくない時には

好きなだけダラダラしたい。



ただそれだけだったことに

最近気がついた。




夢はフェイクで  


夢よりも先に

叶えたい願望があったのを思い出したよ。