今朝はいきなり寒くなりましたが、風邪などひいていませんか?

こんにちは。


歯科矯正による顎の手術で入院中、あったかい出会いがありました。


が!


それはわたしの心の闇を、あらためて照らすものでもありました。


こーゆー自分だけの精神的な話って、どういう語り口が適切なのか全くもって分かりませんが真顔


でも書いてみよう。





***


わたしと母親とはそもそも相性が悪いというか、母親が私をコントロールしようとする力が強すぎて私が病気になることが多くて、それでも一応付き合いを続けてはいたのですが、


ほんまにもうムリ。


と思うことがあり、縁を切りました。

…といっても、すでに私は結婚しているし、近くには住んでいない。
そのうえ母親は、ちょっとしたことで私にぶち切れて、長文メールを20通とか送りつけてくるので最近はブロック。

父とは連絡を取っていたものの、母の迷惑言動を止めてくれるわけでもないし、かといって私を理解しているわけでもない。



そんなことを言われるのはいやだ、やめてくれ
 

というわたしのシンプルな意見は無視され、

母は繰り返し暴言を吐いては忘れ、謝ってくれることもなければ和解しようとするコミュニケーションをとることもできない。

なぜなら、私の話を全く受け付けないから会話にならない。
というか、しようとしても母が暴走というか発狂というか…ヒステリックになるためできない。
トライすること自体が疲れるだけなので、腹を割って話し合ったことはない。


しかし、弟の結婚式とかお正月とかに、親族で集まったときには何事もなかったかのように振る舞う。


そんな母のテンションに合わせることに
本音を言えないことに
私を全否定されることに

疲れて、わたしは親を棄てた。


だからといって具体的には何も変わらないのだけれど、気持ちの面で、棄てた。


毎日がものすごーく、楽になった。

ただ私として生きることが、とてつもなく楽になった。


それじゃダメだ、そんなんじゃダメだ


そう言われ続けて傷ついて、自分を信じることに臆病になって、
  
中途半端に人に合わせるから、結局痛い目を見るのはわたし。


嫌なものは嫌だ!


という自分の気持ちを尊重して、自分の気持ちだけを守る!って決めて、言いたいことを全部手紙に書いて、親を棄てた。


彼らはきっと、読んでいないだろう。


でもわたしには関係ない。


わたしがわたしを信じられる、
わたしを信じることに、何の異存もない、

そんな気持ちでシンプルに存在できることが、本当に楽だったから、勇気を出してよかったと思った。

そんな私の気持ちが、両親に伝わっているかどうかは別として。



これが、入院するひと月くらい前の話。




そしてわたしは、子どもを義父母宅に預け、夫にフォローしてもらいつつも、作業としては1人で入院した。


夫はほぼ毎日お見舞いに来てくれたが、手術当日は仕事で来れなかった。万一の確認が必要な場合は電話があるから、と伝え、だれの付き添いもなく、わたしは1人で手術室に向かった。


同じ部屋に、私より10歳若い女性が入院してきて、彼女は母親らしき女性と仲よさそうに話していた。たぶん独身なのだろうと私は思った。


わたしは結婚して子どももいるから、手術中に家族が来なくても、毎日誰かに付き添ってもらわなくても平気よ。


そんな風に思って、そう思えた自分を、少し誇らしくも感じた。誰に聞かれたわけでもないのに。

その後、食堂で彼女が話しかけてくれたのをきっかけに仲良くなった。
もう少し良くなったら快気祝いにごはん行こうねって話になってるくらい。




退院3日前。

別室に可愛らしいおばあちゃんが入院してきた。

話しかけられて答えるうちに、会話が弾んだ。

(私は話しかけられやすいのかもしれない)

口が不自由な私は、入院当日が一番元気だよな、と思いながらも、74歳だというその女性との会話を楽しんだ。

外へ出かけるのが好きで、仕事を掛け持ちしたりサークル活動に忙しく人生を楽しんでいる様子の彼女を、わたしは好きになった。


「化粧水と乳液と日焼け止めは欠かさないの。」

と言った彼女の肌は、健康的でシミもなかった。



多少仲良くなったとはいえ、入院中の身。

なにせ体調が悪い。

けれど、仲良くなった人が近くにいるというだけで、なんとなく心が和んだ。

抜糸通院する時にまだ入院中であろう彼女のお見舞いに来ようと思ったし、手術の朝にも声をかけた。(わたしは退院の日だった)


どちらの女性とも仲良くなって、自分に湧いてきたのは

彼女たちを心配する気持ち、大丈夫かな?

だった。自分も入院中なのにね。
人を気遣う前に自分のこと考えなよ、とツッコミながらも、2人の女性のことが気にかかっていた。

何かしてあげたいなーと。


おかしい。

自分もしんどいのに、人にしてあげたいと思うのはなんで?


ついつい人を優先して自分のこと後回しにするクセが出たかしら?

それとも、わたしの方が家が近いから?



言葉にならない小さなツッコミが、心の中に小さく引っかかっていたけれど、体調の悪さに自分のことに引き戻された。




急に気がついてびっくりしたそこは図書館の駐車場で、座る場所がないわたしは駐めた自転車の上で車輪をこいでいた。退院した翌日だった。


わたし、さみしかったんじゃない?


その思いつきに ゾッ として、太陽が降り注いで暑いくらいだったのに、腕に鳥肌がたった。



全てがつながって自分を理解できた気がした。



同室の彼女がお母さんに付き添われていることが、本当は羨ましかった。

細かいことはともかく「母親」という存在に、全面的に受け容れられてみたかった。

1ミリも気を遣うことなく、生意気な口調で あれが食べたいこれが食べたい とか、 痛くてもうイヤ、帰りたい とか、わがままを言ってみたかった。



わたしが女性に優しくしたいと思うのはたぶん、母親に優しくされたかったわたしの投影…?


ガーンゲロー


こんなことを思う自分が可哀想で可愛くて、だから悲しくて、

時間差で今、涙が止まらないんだ。



父はわたしにそこそこ優しかったので、わたしは男性にはわりと甘え上手な方だと思うし、

母親に受け容れられない色々は、オトコで解消してきたという自負もあった。


だけど、それとこれとは別な話。


ただ逸らしていただけなんだとわかった。




他にもね。

義母に
「別れた方がいいんじゃない?」
って言われた話を同室の彼女にしたら

「えっ…!そんなこと言われたんですか?!」

とひどく驚かれて。

その反応を見て初めて、そうだよな、ひどいよなと認識したわたしがいて。

そんなこと、ほんとは言われたくないよ。

でもわたし、いやだ!って思う前に、あきらめていたんだとも気づいた。


「母」とはわたしをいじめるものだ。そしてそれは、どうしようもないものだ。

そんな諦めに似た認識が、私の中にあった。



「お義母さんに別れたらって言われた」

って夫に話したのに、なぐさめてくれなかった。

わたしはわたしが傷ついていたことに気がついていなかった。

なぐさめてくれない夫に怒っていることにも気がつかず、とりあえずスルーした。


だって、びっくりしたんだもん。


そんなこと言われたらイヤだと分からないのだろうか?
否定されたら悲しくなるって思わないのだろうか?
なんでこんなことが言えるんだろう?

…きっと不幸な人なんだ。


そんなふうにとりあえず引いた目で分析して凌いでいた。


ほんとは泣き喚いてよかった
怒って暴れてもよかった
夫に なんで守ってくれないの?って問いつめてもよかったのに

言えなかったよね。


だってびっくりするじゃない

そんな意地悪なことをどうしてわざわざ言ってくるんだろうって


びっくりしすぎてわたし、怒ったり悲しんだりする余裕もなかったんだ

「母」とはそういうもの?
そうあきらめていたって、言われたらびっくりするし傷つく。


何度でも傷つくし、何度でも悲しい。

それが私の本心だった。



そして今、2週間前の怒りが、35年分の悲しみがわたしを襲い、

素直に出しそびれた感情を悼むために、溶かすために、わたしは泣いてるんだな。